それを見つけてしまったのは、オレのこの目がブックマンのそれだったせいで。
そうでなければ、誰も気がつかず、知る事も無く、オレ自身心を痛める事も悩む必要も無かったこと。
つまり…それはもともと無かった事に等しい事実。
森の中で一本の木が倒れても、誰も気がつく者がないように。
Aether-実在認識論-
イノセンスを探索する任務の途中。
小さな古い町で、
オレが見つけたのは、骨董屋の店先に飾られた小さなポートレートだった。
何の気なしにそれを視界におさめてしまったオレは立ち止まり、無意識にものすごい速度で記憶の中の顔と照らし合わせた。
だれだっけ?
急に立ち止まったオレをアレンが振り返ると怪訝そうに声をかけた。
「どうしました?ラビ」
「や、…ちょっと」
バックするように数歩下がってもう一度、ショーウィンドウを覗き込み、確認する。
それから「見て」しまったことに後悔した。もう遅いけれども。
記憶の照合などをする必要など、なかった。
わからなかったのは記憶のせいじゃなく、その雰囲気のせいだった。
落ち着いた色のドレスを着て、化粧も薄く、きちんと髪を結い上げている姿は全く違っているが、その端麗な面差しを見間違うはずもなく…。
オレの見ているモンを覗き込んだアレンが、目を丸くして叫ぶ。
「こ…これっ、もしかして」
「ああ、もしかしても何も、間違いねえさ」
金色の髪。薔薇のような美しい微笑み。ルビー色の瞳…
見間違えるはずはない。
「エリアーデ…さん!?」
アレンの声を聞いたオレは、沸いてくる苛立ちに唇をかみしめた。
「いや、正確にはちがうさ。これは…あの姉ちゃんの「皮」になった人だ」
オレの手短な説明を理解したアレンは、返す言葉を失った。
骨董屋の店内っていうのは、どこも湿り臭く、埃甘い香りに満ちていて、オレはそれほど嫌いじゃない。そこには止まった時間がそれぞれに置いてあるようで、まるで、貴重な図書資料の面影のようで、いや。
オレそのものに似て。
「特にどうというものではないのですよ。実際、曰くも因縁もわからないシロモノで…」
骨董屋のじいさんは、東洋風の青磁壷が並んだ隙間からショーウィンドウに手を伸ばすと、難儀そうに何度か手を動かし、ようやく写真の入った写真立てを掴むと、そっとそれを引き出した。それから、大切な手紙を見るように眺め、ガラス板の曇りをふきとると、指でその姿をなぞる。
「素人にしては驚くほど美しい女性でしょう?
この写真がどこから流れてきたのか、どういういきさつで、競売に出されたのか、そういったことはさっぱりわからない。特別なブロマイドでもなく、普通にとられた肖像だし、このご婦人の素性もわからない。骨董と言えるほど古くはないがずいぶん焼けて色変わりしている。まあ、状態が良くない事がかえって味になる事もありますがねえ。
とはいえ、私も気に入って手に入れたし、事実あなた方の目にもとまった。何より、雰囲気がある。
こういったものはしばしば流れてくるが、これはめったにない上物です。
けどまあ、たいした価値はない。売り物にするつもりはなかったのですわい。まあ写真立てのほうのおまけのつもりで…」
そういいながら、写真立てを裏返すとその爪をゆっくり外し、裏板をひらいて、写真をそっとつまみ出した。
「ご覧になりますか?」
店主の言葉に、オレもアレンもびくりと体を強張らせた。
「え…と」
アレンは何かいけないものを見るような気がしたのだろう。手をだすどころか、数歩後ろに退いた。
しかし、オレは心の中で震えながらも勇気を出して、右の手を伸ばした。
ここに入った以上ちゃんと見極めなけりゃなんねえような気がして。
オレがブックマンJr.だから…か?
それともクロちゃんの仲間だから…か?
写真は縁がちぎれ、まるで酒かなにかに浸されたように変色していたが、骨董屋の老人が言うようにさほど古い物ではなさそうだった。
その女性は、あのクロウリー城で出会ったヒトと瓜二つだったけれども表情がまるで違った。幸せそうに、恥ずかしそうに微笑んでいる様子は、どこか不完全でスキがありそれが却って生き生きと見える…。
やはりあの…クロちゃんの愛していたひと=作られた機械とは全く違うモンなのだと…オレは納得した。
それは無理矢理に納得…かもしれないけれども。
裏側には、きれいな文字で書かれていた
「心より愛する人へ捧ぐ」
…そうしてこの女性は、伯爵の誘惑にまんまとひっかかり、
大切に思っていた人の魂を呼び戻し、殺されて、エリアーデという名の悪性兵器の皮に…なった。
あの美しいAKUMAの。
「つまり…そういうことさ」
アレンが、血がにじむほどギリと唇と噛み締めたのが、オレにはわかった。
「…これはやっぱりエリアーデさんじゃ…ないです。でも…
でも!
この笑顔をクロウリーに…みせたら…みせてあげたら…」
アレンの言いたい事はオレにもわかった。
そうはいっても、これはまさにあのきれいなアクマの姿そのものだ。
幸せそうに笑う彼女の…
アレンの考えている事が俺にはよく理解できた。
何もかも捨ててきたクロちゃんが、あのねえちゃんの思い出になる物を何一つもっていないことは、オレだって…。
骨董屋はオレたちのただならぬ様子に気づかないのか、気がつかないふりなのか、…ただ
「…どうされますか?安くしておきますが?」
と尋ねた。
「…一晩考えてみます」
アレンはながいことかかって苦しそうに、そう、呟いた。
オレも反論はしなかった。
そうして店を出ようとした瞬間、
アレンの左目に機械仕掛けのセルクルが浮かび上がった。
おぞましい嬌声が響く。
「エクソシーストみっっっけ」
はっと緊張したアレンがクラウンクラウンを発動させながら、叫んだ。
「ラビ!おじいさんを外へ!!」
言い終わるより速く、店のショーウィンドウが砕けちり、炎の固まりがふってきた。
「じいさん!!」
オレはホルスターの小槌を手にしながら、骨董屋のじいさんをかかえこんで裏通りにいったん下がる。視界に入った空には、黒々として凶悪な虫の卵のようなレベル1の群れが浮かび、店の目の前には、ゴツゴツと醜いレベル2が溶岩を吐き出しながらげらげらと笑っている。
「店が!」
じいさんがおもわず悲痛な声を上げる。
骨董店は、既に炎の海に飲まれていた。
青磁の壷がわれ、古めかしいタペストリやベネチアングラスが焼けていく。ちろちろと舐めるような炎が、生きもののように這いずり回り、店のここかしこにへばりついてすべてを呑み込んでいた。
あの美しい写真の女性も…
「くっそおおおおおお!」
こみ上げてくる怒りに任せるように、オレは大鎚を振り上げた。
燃え盛る炎の中に
なぜか、クロちゃんがこまった時の笑顔が見えたような気が…した。
いろんな物が一緒くたに焼けると何の匂いがするか、オレはずっと前から知ってる。
それは戦争の匂いと同じだってこと。
今は人間の焼ける匂いがしないだけマシだけど…。
敵を殲滅させると、すぐに近くの教会から黒の教団へ連絡がつたわり、ファインダー達が後始末にやってきた。
骨董屋の店は、例によって教団が弁償する事になったらしい。おそらく口封じもかねて、かなりいい条件が提示されただろう。
じいさんが安堵の表情をみせてほんの少しだけ笑うのが、オレには見えた。
じいさんにとってそれは日々入れ替わっていく売り物にすぎず…。たとえどれほど思い入れがあってもメシの種にすぎず…。
そのお陰でオレは罪悪感を感じずにいられる。
人には人それぞれの価値がある。
人生を賭しても手に入れたいガラクタもあれば、クズよりも価値のない黄金もあるように。だから人はお互いの価値の差を交流し、利益が生まれ、経済が生まれる。
だが
クロちゃんにとってそれは…どっちだっただろうか。
「これで…良かったんだよな。アレン」
焼け落ちた骨董屋を眺めるアレンは素直にうなずいてはくれなかった。灰色の瞳を少し曇らせて、うつむいて言葉を選んでいたが、しまいに
「わかりません」
と呟いた。
「それがクロウリーにとって良かったのか、悪かったのか…でも今となってはもうどうにもなりません」
オレは、ため息をついて空を見上げた。
そうする事に何の意味も無いけれども、それ以外できる事も、なかった。
「結局、オレらが選ぶべきことじゃなかったんさ」
アレンは、いつまでもうつむいて動かなかったが、ぼそりと呟いた。
「そうかもしれません」
そう。
誰にもわからない、もはや取り戻す事も出来ない、知られる事もない。
森の中で一本の木が倒れても、誰も気がつく者がないように
つまり…それはもともと無かった事に等しい事実。
ただ
ただ、オレは、彼女のその美しさだけを…。
すべてを刻み込むオレの記憶(ブック)の中に記録し、
深く、
ふかくしまいこむしか、ない。
好むと好まざるとに関わらず。
記録するのが、俺の仕事だから。
…幸せそうなその笑顔を…。
鮮やかなままに。
-ende-2009.7.2