レールが軋む規則正しい音だけが、夜明け前の列車内に響いていた。
乗り合わせた人々がすべて眠る中、
眠らずに仲間たちを見つめるアレンだけが、列車の中で一人深いため息をついていた。
それは何とも言えない充足の吐息。
それがなんなのかアレンはわからず、ずっと考えていた。
車窓を照らすほのかな朝焼けが、アレンの向かい側に座っている新しい仲間の青白い頬をさらに白く冷たく浮かび上がらせている。

アレイスター クロウリーは眠っていた。
隣に座っているラビに寄り掛かられたまま、子供のようにその長身を固い車席のうえでちぢこませている。
さらさらと長い、白い前髪が列車の軋みにあわせてかすかに揺れる。
どこか哀しそうに眉をひそめながら、泣いたばかりの瞼を少し赤くして、それでもすぐそばに仲間がいることが救いになるのだろう。まどろみながらも時折無意識に、すぐ近い場所にある人の温もりに確かめるように再生した片手を伸ばす。
手近にいるラビのハーフジャケットの裾は、クロウリーに一晩中握りしめられて皺くちゃになっていた。
 ー本当に発動時と雰囲気ちがうな
アレンは思わず笑った。
 ー闘いの時はまるで悪鬼か野獣のようだったが、今はまるで
…そう。
まるで白い花のようだ。
と アレン ウォーカーは思った。

 

 

altra volta - カーテンコール -

 

 

キリレンコ鉱山の駅から列車が動き出し、不良な孤児たちの姿も見えなくなると、クロウリーはマントをかぶり直してようやく落ち着いたのか、ほうっとため息をついた。
「アレン、ありがとうである、一時はどうなることかと思ったである」
「いやあ、たいしたことじゃ。でも無事に荷物が取り戻せてよかったです」
アレンは、てれくさそうに白い髪をかりかりとかいた。
ラビも、からかうようにクロウリーを脅かす。
「探しにきて正解だったさ。あのままだったら荷物どころか、クロちゃんもどうなっていたかわからんさ。裸のまんま奴隷みたいに、鉱山の人足に売り飛ばされてたかもしれなかったさ?」
クロウリーは青ざめた
「そうなのであるか?」
「大袈裟ですよラビ」
「いやいやマヂさあ…助かったのはアレンのイカサマのおかげさ」
「そうであるか、アレンは命の恩人である」
彼は実に優雅にお礼のお辞儀をし、目を丸くして無邪気に尋ねた。
「ところでイカサマってなんであるか?」
「え?!」
キラキラした眼差しで見つめられ、アレンは思わず言い淀む。
「いや、なんていうか、その」
うまい言葉が見つからなかった。
自分のしたことが恥ずかしかった訳ではない。なんというか、この世間知らずで無邪気な男には、社会の裏のことはあまり教えてはいけないことのように感じたのだ。
ラビが助けるように説明した。
「特技みたいなもんさ。誰にもわからないように手先の技術で、トランプを操る技、まあ、手品みたいなことさ。な?アレン」
説明を聞いたクロウリーの頬が、みるまにバラ色に染まる。
「手品であるか?すごいである!ではアレンは、手品師のように好きなときに自分の好きなトランプが出せる、ということであるな?それならたしかに、どんな相手にでも勝てるである!カッコいいである!」
どういう納得をしたのかはわからないが、彼の倫理観の中に、それが卑怯なことだと言う認識は微塵もないらしい。
まあポーカーというもののルール自体、というか賭け事という非道徳的行為自体をまともに把握していると思えない。
困惑してあれこれを想いを巡らせているアレンを前に、クロウリーはもじもじしながら
「あの…よければ…途中でトランプをピルルルッってやったのをもう一度見たいである」
といった。
「え?いや、本当に、たいしたことじゃないんですよ」
「そんなこと無いである!本当に見事でしびれたである、もう一度、もう一度だけ!」
「で、でも」
アレンは、大汗をかきながらためらった。自分のイカサマ技をもう一度見たいという人間がいるなどとは想像していなかった。
しかも、目の前にいるのは仲間になったばかり、30歳に手が届きそうな大人だ。
 ーほんっと、発動してるときと印象違うなあ。まるで小さな子供みたいだ。
だが、クロウリーの尊敬と好奇心に満ちたキラキラの目で見られると、なんだかくすぐったいような、暖かいような気分だ。
この感覚はちょっと懐かしい。
 ー懐かしい?
 ーああ、そうだ、これは。マナといた頃の…
アレンは、このくすぐったさが、マナと二人でピエロを演じていたときに浴びた拍手と喝采に似ていることに気がついた。
ラビがニヤニヤする。
「いいじゃん、アレン。リナリーたちと合流するまでは暇なんだしさ。ほんのすこし余興に見せてやれって。それに俺も、もっぺんじっくり見たいさ」
「じゃあ……ちょっとだけ」
アレンは赤面しながらも、先ほどもらったトランプを取り出した。

 

 

「で、赤いトランプを裏返して、ふっと息をかけると…ほら」
「わ、黒く変わったである!」
「しかも、ロイヤルストレートフラッシュ、です」
「すごい!不思議である!アレン、もう一回!」
ちょっとだけのはずの余興は、夜になっても続いていた。
ラビはすっかり飽きてしまった様子で、クロウリーの横で居眠りをしている。
しかし、クロウリーは何を見せても大喜びではしゃぎ、楽しそうに笑い、驚きの声を上げ、あるいは驚嘆のため息をついてくれた。

『笑わない客は嫌いですね』

 ーマナが言ってたっけ。
笑わない客は嫌い
笑ってくれるお客さんがいい。
 ー当たり前のことだけど、本当だね、マナ。
こんなにウケがいいと、やはりうれしい。
だが、だいぶ夜もふけてきた。
アレンは、意を決してカードを懐にしまうと、子供に言って聞かすように、優しくも強い調子できめつけた。
「はい!これでおしまいです。明日のこともあるし、そろそろ休みましょう」
「ええ?」
クロウリーは一瞬、残念そうだったが、すぐに思い直したようにうなずいた。
「そ…そうであるな!気を緩めてはいられないである。遊びで列車に乗っている訳ではないのだし、もう、やすまなくては」
やはり大人だ
というより、いかにも躾の行き届いた良家の育ちらしく、素直だった。
彼はマントを、前で深くあわせると襟を正した。
「楽しかったである、アレン。おかげで、いろいろなことを思い悩まなくてすんだである。
あの、最後にひとつだけお願いがあるのだが」
「なんですか」
薄い唇の間に、かすかに白い牙を見せながら、クロウリーはとても恥ずかしそうに言った。
「アレンの左手に触らせてほしいである」

 

 

「この腕が、アレンのイノセンスなのであるな。私の牙と同じようにこれが体に寄生しているイノセンスだなんて…なんだか不思議である。
アレンの左腕は疼いたり、変な感じがすることはないのであるか?」
クロウリーはアレンの左腕を白く細い指でなでてみていた。
人に気味悪がられ、今でもあまり大っぴらには腕をさらしてしていないアレンは、この左腕を触られる感覚にあんまりなれていなかった。
そわそわと落ち着かない気持ちを抑え、それでもじっとクロウリーにされるままになりつつ説明する。
「たしかに、最初の頃は勝手に発動したりしましたけど、今は制御出来るので、まったく普通と変わらないです。自分が思うときだけ発動できますし、何の不自由もありません。さっきお見せしたように、トランプを扱うような細かいことまで意識せず出来ますし」
「そうであるか…」
クロウリーは真剣な面持ちで、アレンの腕を確かめる。指から伝ってくるクロウリーの体温が、妙に心地よい。
「ならば、きっと私は、まだこの牙にふりまわされているのであるな。
時折、自制出来なくて我を忘れることもあるし、それに無性に疼いてたまらないこともあるのである。
…訓練すれば、いずれアレンのように、思うように制御できるようになるであろうか?」
クロウリーの問いかけに、アレンは強くうなずいた、
「ええ、大丈夫ですよ」
「そうであるか、よかった」
ちょっと安心した様子のクロウリーの指が、アレンの人差し指にふれてとまった。そこはあからさまな歯形がくっきりと残っている場所だ。
「あ、私が噛んだ傷がまだ…」
「ああ、大丈夫です。噛まれたときはちょっとびっくりしたけど、もうぜんぜん痛くないし」
アレンがあわてて引っ込めると、クロウリーはとても心配そうに尋ねた。
「本当であるか?もう痛くないであるか?
思えば、他にもいろいろ手荒なことをしてしまったである。ラビにひどい怪我もさせたし。
今更であるが、本当に、すまなかったである」
どんよりしかけるクロウリーの肩を、アレンはあわてて優しく掴んだ。
「いや、だ、大丈夫ですってば、お互い事情が事情だったし。僕らはこんなのなれっこだし、たいしたことも無かったんだし。それに…
それに、そのおかげで、あなたという仲間ができたんですからよかったです。この傷はむしろ…いい記念ですよ!!」
アレンは歯形のついた指をクロウリーに見せてにっこりと笑った。
「う。ありがとうである。アレンは優しいであるな」
クロウリーはとうとう派手に泣き出した。

 

 

レールが軋む音だけが、夜明け前の列車に響いていた。
今、クロウリーは、穏やかに眠っている。
眠りについたら、彼が悪夢を見るのではないか…とアレンは心配したが、取り越し苦労だったようだ。
今はまだ様々なことがおこりすぎて混乱の中にあるためだろうか。あるいは新しい世界にとびこんだばかりで、はしゃいで疲れきっているせいだろうか。不安の中にあるとはいえ、彼はまだ幸い、穏やかな眠りに抱かれていた。
だが…
覚悟は決まったと口では言っても、胸の痛みまでそうそう簡単には殺せない。心の整理がつきはじめれば、痛みはトラウマとなってクロウリーを苦しめるだろう。

愛する人を手にかけたのだ。

罪の意識や後悔や、苦悶と悲しみが、すぐにもその身と心をズタズタに引き裂くだろう。
かつて自分が体験した悪夢と苦痛、そして今も消えない悲しみを、アレンはぼんやりと思った。
それがどれほど厳しい地獄の苦しみなのか、アレンは身を以て知っている。
本当は、彼をそんな目には遭わせたくなかった。
だが、アレンに出来ることはなにもない。
自分で乗り越えるしか無いのだと言うこともアレンはよく知っている。

 ー生きてください、クロウリー。僕が…
「僕が、守りますから」
アレンは思わず、つぶやいた。
クロウリーは、むにゃむにゃと牙の見える口元を歯咬み、つぶやいた。
「スゴイである。アレン…」
ちょっと驚いたアレンは、それが寝言だとわかると柔らかく笑みを浮かべた。
「アレイスタークロウリー三世。寄生型エクソシスト、か。僕と同じ」
アレンは、クロウリーの寝顔と、
自分の指にくっきりついた咬み痕を見比べる。
獣のような鋭い牙の独特な歯形。
穏やかな優しい寝顔。

野獣のように強い人。
花のようにたおやかな人。
「どうか、これからよろしく」
アレンは小声で囁いた。
そうして、
指の咬み痕に自分の唇をよせ、そっとキスをした。

優しく
花びらに触れるように

<ende>2009.1.20