とうとう朝の光が訪れ、夜の闇が薄まるころ。

かちり

と軽やかな音がして、
ようやく、とびらの錠前が、頑な爪を緩めたことを告げた。
これで何十回目の挑戦か、もうわからなくなってしまったけれども、
その音を聞いたとたんに、今までの焦りと焼けるような気持ちが放たれる。
私が手にした金色の細い鍵が、指の間で心地よく踊る。
無愛想で強面の古めかしい樫のとびらが、とたんに親し気にかわる。
静かにため息をつきながら錠穴から鍵をひきぬき、私はそれをしげしげと見直した。それは華奢で、繊細なレリーフが施され、貴婦人のような微笑みさえ浮かべているように、私には思えた。
最初から、気がつくべきだった。
この鍵だけが貴婦人のような顔をしていた事に。
鈍色の他の鍵とは全く違う姿である事に。
光に満ちていたことに。
そうすれば無数の鍵の束から、すぐにも見つけ出せたに違いない。
私のような闇に潜む者の心を あの貴婦人が一瞬で開いてくれたように。

 

 

brillante stanza  -光の場所-

 

 

とびらを開けると、ちょうど窓から夜明けの光が差し込んで、部屋中の空気が金色に染まっていた。
私は、久しぶりに浴びる朝の光に目を細め、まぶしさに痛みを感じながらも心の底から暖かさにみたされる。もう、こんな時間になってしまった事に、少しあわてながら…。
部屋の中は、お祖父様がなくなる前と何ら変わっていない。
いつか仕える主が訪れるのを待っていたかのように、静かに息をひそめ、その頃と変わらぬ柔和な表情で私を迎え入れてくれた。
私が小さな子供だった頃のように。
『さて』
と ひとりつぶやき、
肩からマントをおろし、花たちの世話をする時の前掛けを身につけた私は、まずそっと音を立てぬように、テラスに向かう大きな窓を両開きにひらいた。
深まる秋朝の湿って冷たい空気が、部屋の眠りをさます。
羽根叩きをとりだして、壁や、書棚や、テーブルの上につもった年月を払い、風に乗せて外に追い出していく。
キラキラと空気がゆれて、絹紗のカーテンが優しく翻る。
馨しい香りが私の鼻腔をくすぐる。
懐かしい香り、
この部屋に最初に入り込んだ時の記憶のままに。

 

初代アレイスタークロウリー。
私の育て親にして偉大なる祖父。
そして、私の縛鎖。
彼の残したコレクションはどれも異形で、奇抜で、重苦しく、そして莫大な数を誇っている。
この城のどこを歩いても、彼の物欲の証にお目にかかる事が出来る。
いつだって威圧するように、脅かすように、あるいはあざ笑うように、彼らはあらゆる場所に存在している。
それらが放つ独特のあの息苦しい『空気』は、この城中どこにいっても鼻につく。
ものごころついた時からここで呼吸してきた私にとって、それはどうという事は無い風景だが。
外の人はそれらを不気味がり、怖れ、毛嫌いし、われらを迫害する根拠としてきた。
彼らさえ無ければ、私の人生は変わっていのかもしれない。
だが、
悲しいかな、私はこれらを守る為に生かされてきた。

けれども
この部屋だけは、違う。
クロウリー城で一番早く朝日の差し込む「ここ」だけは。
この部屋だけは、お祖父さまの僕共も浸食していない。いや、むしろお祖父様はわざと浸食させずにおいたのだろうか。もともと誰の部屋なのかは知らない。私が物心ついたときには、もうこの城には私とお祖父様しかいなかったのだから。
だが、入ってはいけない場所なのは知っていた。

子供のときに迷い込んだとき。
知らずに入り込んだときには、その空気の清浄さにとまどい、呆けたように部屋に見ほれた。家具も壁紙も柔らかな風合いに、何もかもこじんまりとして、華奢で、それでいて、つつましく。
やさしく…
邪神も魔物も、頭蓋も、地を這う生きものも この部屋には置かれては居らず、小さな私はからんと開いた空気にそわそわしながらも、妙な安堵を覚えた。
今までに嗅いだ事の無い、優しい香りがその部屋には満ちていた。
安らぎだけがそこにはあった。
夜の闇に、そこだけ朝の光が射すように。
そして、ただ薔薇だけが…。
美しい薔薇の花束だけが飾られていた。
私は中央におかれた天蓋のベッドに座り、薔薇を眺めるうち、眠り込んでしまったのを覚えている。
目を覚ましたときに、目の前にはお祖父様がすわっていた。
私は怒られるのかと身をすくめたが、彼はただ困ったように言った。
「自分のベッドにいきなさい。ここはお前の部屋ではないのだから」
今もこの城に私のものなどないが…お祖父様どうかお許し下さい。
彼女にこの場所をお貸しすること…
なぜなら彼女は…

 

 

部屋中のホコリを追い出し、よくしぼった布で拭う。
閉ざされていたお陰で、年月は止まったままのようだった。
豪奢な猫足のベッドの上に真っ白なシーツを広げ、城中からかき集めた、きれいなクッションを盛りつけて、絹のカバーをかける。
気に入ってもらえるだろうか、と。
あの人がしとねる姿を一瞬想像して、不謹慎さに心で謝罪しながら。
最後に
夜明け前につんでおいた薔薇を飾って…。
ほっとため息をついて再び鍵をかける。
今一度、魔法を解いてもらうために。

フロアにおりると、彼女がどこからか見つけ出した古い銀食器で熱い紅茶を入れているところだった。
大きな食卓に、カップは二つ。
彼女と私のための…。
私は胸が一杯で、宙階段の真ん中にただ呆然たちつくす。
夢ではない。彼女は『まだ』ここにいてくれた。
逃げださずに…嫌悪せずに。
奇跡のような想いで、私はゆっくりと階段を下りていく(途中緊張で、数段こけつつ)
私の姿を認めた彼女は朝露が花びらからこぼれるような愛らしさで微笑みかけてくれた。
「おはようございますアレイスターさま」
私の舌は緊張のあまり、挨拶もうまく出来なくなってしまう。
それでも必死に声を出せば、驚くほど、うわずって、情けない。
「あ、お…はよう、である。エリアーデ」
「お茶を入れましたの。もしよろしければご一緒にと思って。でもお姿がみえないので、心配しましたわ。…どちらにいらしたのですか?」
「え、いや、ちょっと…探し物を」
「まあ、そうでしたの。おっしゃっていただけば、お手伝いいたしましたのに。それで、そのような格好でいらっしゃるのね」
うふふ、と愛くるしい笑みを浮かべるエリアーデの言葉に、私はあわてて前掛けを外し、シャツのホコリを払うと、一つ深呼吸をした。
おちつかなければ。
なるべくさりげなく、わたさなければ。
彼女は、この贈り物に喜んでくれるだろうか。
それとも困惑するのだろうか。
勇気をだすである、三世。
私は、左手を握りしめたまま、エリアーデの向い側に座り、熱いお茶を勢い良く飲み干した。
喉が焼ける痛みもおかまいなしに、全身全霊の勇気をもって彼女の名前を口にする。
「…ーデ!その、あの。実はさしあげたいモノがあるである」
「まあ…なんですの?いったい」
「その、い、いつまでも急ごしらえの客間では休まるまい…し、その、よければ、部屋を…とおもって」
しどろもどろになりながら、私は、ゆっくりと手を開く。
最初に気がつくべきだった。
この鍵は貴婦人のような顔をしていた事に。他とは全く違う姿である事に。
それは華奢で、繊細なレリーフが施された金色の鍵。
まるでエリアーデのように。
朝の光にこそ良く似合う。
金色の…

 

 

エリアーデの、天使のような笑顔。
私は死にそうなぐらいみたされる。
夢ではない。彼女は『まだ』ここにいてくれる。
逃げださずに…嫌悪せずに。
こうして、
私とエリアーデは、この城で暮らしはじめる。
闇と光の間で。

 

 

-ENDE-2009.4.24