「じっとしてろ」
クロウリーの声がした。
「クロウリーさん?
・・・何も見えないよ。痛い・・・。両目が焼けるみたいに・・・」
ローダはおびえて言った。
「心配するな。
AKUMAの血がほんの少し目にかかっただけだ」

クロウリーは彼女の頭蓋に両手をそえた。
顎を少しのけぞらせて髪を払うと、
舌で、その瞳をそっとなめあげた。
ローダの体が一瞬硬直する。
「動くな・・・」
音を立てて舌なめずりをしながらクロウリーが囁く。
もう一つの瞳にも舌をはわす。
素早く、でも慎重に、ゆっくりと。
それからローダのまなじりにそっと唇を当て、痛みで溢れてくる涙を吸いとる。
AKUMAの血を一滴残さず取り除く。

ゆっくりと痛みが去り、視界がもどった時・・
ローダは、目前におぞましい姿の男を見た。

男は頬といわず額といわず幾筋もの血管が浮き立たせ、血を凝った眼差しは闇のように黒く、獣の瞳は金の月のように輝いていた。
なにより人とは思えない無数の鋭い牙で飾られた口元は耳まで裂け、どす汚れの血に染まっている。
思わず小さな悲鳴をあげたローダは恐怖に身を凝らせ、それがクロウリーだと気付いた。
その声に動揺したクロウリーはあわてて立ち上がって背を向ける。
顔をかくすようにロングコートの襟をただす。
「・・心配ない。AKUMAの血は飲み尽くした。・・・手当てが早く出来てよかった」
「あ・・AKUMA?・・・あの怪物が?・・でもギャビンさんは?」
「・・・とっくにあの世にいってる」

店内には悪夢のようなあの化け物も、親しかった老女の姿もない。
が、
店の中は血と灰と、花びらに溢れていた。
めちゃくちゃになった店の残骸が、夢で無いことを思い知らせる。
不自然に老女のねじまがった体が脳裏をかすめる。
クロウリーの鋭利な爪が、その肉を切り裂き、牙が啜る
・・・それはほとんど一瞬の出来事だった。
何がおきたのかは分かる。
だがそれを飲み込むことができない。
混乱の中で、
言ってはいけないと心が告げた言葉が 口から溢れて出た。
「あなたが・・・殺し・・・た?」
クロウリーはゆっくりと振り返り、言葉を探したが、やがて首を横にふった。
無理に笑うその姿は、人の姿にもどっていた。
「・・・薔薇をダメにしてしまって、すまないである」
彼はそれ以上何も言わず、静かに店の外へ出ていった。

『クロウリーさん』

ローダは懸命に立ち上がると、店の外へ飛び出した・・・
違うちがう、こんなこと言いたかったんじゃ無い!
謝らなければいけないのは自分のほうだ!
ありがとうといって、手を述べたかったのに!


・・・・クロウリーの姿は一瞬に消えていた。
雨は・・・相変わらず激しくふっていた。

 

 

・・・事件のあと、警察がやってきた。
警察に同行している白いコートの男達が、店のあちこちに散乱した飛沫や灰などを採取していった。
ローダは、あれこれと聞かれ、店の修理代として金をわたされ、挙げ句にこのことを誰にも言わない様にと口止めされた。
オーナーのギャビンは行方不明ということで片付けられた。
店は今までどおり、ローダが切り盛りすることになった。
ギャビンの遠縁の希望でしばらくの間は・・・・という事になっているが
・・おそらくあの白いコートの連中の根回しなのだろう。
何も起きなかったように事件は消された。
ローダはずっと、まったく逆らわなかったし、質問もしなかった。

おそらく・・その連中のずっと後ろには『彼』が・・・きっとクロウリーがいるのだ。
どうしても、あやまりたい命の恩人が・・。
傷つけてしまった大切な友だちが。

だから 彼女はだまって いう通りにした。

 

半月後。
ロンドンは今日も朝から雨だ。
しかし、季節は少しづつ動き、初夏の気配が訪れていた。
息をきらせて店に戻ってきたローダは、雨にかまわず店の窓を全開にする。
暗い部屋の中に明かりが差し込む。
エプロンをつけて、早朝の花市で仕入れた花達を、バケツに入れていく。
掃除をし、ウィンドウをみがき、花瓶を選ぶ。
そして、自分の手で抱えてきた花の包みをそっと開く。
ようやく見つけた。
国中の花市を捜しまわって、半月かかってしまった特別な 花。
やさしく花瓶にいれて、一番目立つ棚にのせる。
優しく力強い芳香が店中に満ちる。

真っ白な紙に、インクを走らせ、美しいカリグラフを書き上げると
ローダは店の入り口に綺麗に張り付けた。
そして祈る。

どうか、気がついて。
ゆるしてくれなくても。

どうか気がついて。
・・・どうか。

<約束の花、入荷いたしました>


  

(END)

2008.6.10