森の開けたくぼ地に、月明かりがさしていた。

クロウリーは、きっちりと着込んだ新しい団服の裾を引きながら、前に進むと、茂みにそっと屈んだ。
拾い集めた小枝を優しく折り、小さな薪を組む。
懐からマッチ箱を取り出して、慎重にその1本をすった。
紅い灯が、彼の白い顔を照らす。
薪に灯された火が、いぶりはじめ、やがて小さな炎を踊らせる。
炎を見つめながら、クロウリーは抱えてきた薔薇の花を一輪手にとった。
ゆっくりと、花びらをほぐし、炎に投じていく。
かすかな薔薇の香りが、古い想い出のように甘くただよいはじめる。
その明りをみつめながら、クロウリーの唇は、誰にも聞こえないほどかすかにささやいた。
「エリアーデ」
彼はゆっくりと、炎の中に薔薇を一つづつ投じながら言葉を吐き出した・・ 


「もうすぐ、一年がすぎるである。
なんだか、不思議な感じがするであるな。
去年の今頃は、あの暗い城で、あなたと二人で過ごしていたのに・・・
今日は、遠い異国であなたのために迎え火を焚いている。
こちらでは今日の夜をハロウィンというのだそうである。
町では、子供たちが、家々を練り歩いて、お菓子をねだるのだそうである。
オオカミ男や魔女の格好や。
(くす)吸血鬼!の格好とか。
だから今夜は本部でもパーティをしているんであるよ。
アレンやラビはまだ子供だから、
お菓子をもらい放題で大はしゃぎである。
ふふ・・・
エリアーデにもみせてやりたかった。
こんなににぎやかなのは、私も生まれて初めてである・・・。

・・・おじいさまは、この季節を死者の夜と呼んでいらっしゃったであるな。
万聖節の前夜には、死んだ者たちが帰ってくると、よくおっしゃっていたである。
小さいころは、ずいぶん脅かされたものだった。
大人になってからは、そんなこと信じようともおもわなかったであるが
今は信じたい。
エリアーデ。
どこかで見ているであるか?
・・・私はここに居るである。
いろいろあったけれども、何とか元気にやっているである。
大切な、大好きな仲間がたくさんできたである。
ここが私の新しいホームで、おそらくこの場所が終の住処となるのであろう。
・・もう
・・・独りではないである。
だから 心配しないでほしい
でも・・・・」

 

 

パチパチパチ
わずかな火の粉を舞い上げながら花びらが炎に焼かれていく。
アレイスター クロウリーは、すべて薔薇の花を炎に投じると、言い出しかねていた言葉をとうとう舌にのせた。
かすかなささやき声は、次第に震え、涙に濁っていく。
「それでも、エリアーデ
・・・・たい。会いたいである」
吐き出した言葉は、封じていた心の扉をこじ開けた。
堰を切ったようにあふれる涙を拭おうともせずに、クロウリーは、炎にけんめいに語りかけた。
「いつもあなたはここにいる。私のこの胸に奥にいると、信じているである。あなたは傍で私を見守ってくれている。わかっているである。
目を閉じさえすれば、あなたの姿をいつでもみることだってできる。想うことができる。
でもそれでも。
会いたい。
お前に。
どんな姿でもいいから、ここにきて、返事をしてほしいである。
エリアーデ!」
小さな炎は薔薇の花束を喰い尽くすと、勢いを弱め、やがて熱気を失い始めて、白煙を上げ始める。
静かな夜だった。森の静寂が、彼を包み込んでいた。
誰も彼に応えるものは、なかった。

やがて炎は命を失い、小さなともしびとなって一瞬きらめいたかと思うと、不意に闇に消えた。
「は・・はは・・・」
長いこと、闇に耳を傾けていたクロウリーは、消えた炎を見つめると、緊張が解けてしまったような、深いため息をついて泣き笑った。
暗闇が訪れ、目が慣れ始めると、月の光が周囲を柔らかく照らし出し始める。
かすかに建物の方角から、教団の人々の明るい笑い声が、闇に響いてくる。
「ちっ。男のくせにメソメソしやがって」
唐突にすぐ近くで神田の声がした。
「わ!・・い、いたんであるか?神田」
クロウリーは驚きのあまり、一瞬身をこわばらせて狼狽した。
鍛錬の邪魔にならぬよう、だいぶ離れた場所で薪を焚いていたはずなのに、神田はすぐ真後ろに立っていた。
「あの・・も、もしかしてずっといたのであるか」
クロウリーは、話を全部聞かれてしまったことを察して赤面したが、神田は全く興味がない様子で言葉を続けた。
「東洋にも、先祖のために火を焚く習慣があってな。もっともこんな寒い時期じゃねえ。迎え火ってなあ、夏の終わりのかったるい夕方にやるらしいんだが」
神田にしては珍しいほど饒舌だった。が、例によって相手の顔を見るつもりはないらしい、月をにらみながら、つまらなそうにつぶやく。
「こっちにもそんな習慣があるとは知らなかった」
クロウリーは、どぎまぎしながらうつむいた。
神田は苦手だった。
病室で目覚めてから、季節も移ろい、アレンやラビたちクロス部隊以外の人々ともだいぶ慣れ親しみ始めてはいたが、この男はよくわからない。
もちろん不機嫌そうで無表情の彼の鋭い眼差しに、かつていわれなき迫害を受けていたときの、村人たちのような憎しみは感じない。
嫌われている訳ではないとかろうじて感じているが、好かれている訳でもないことはわかっている。
どちらかと言えば、普段は無視されているような気がする・・・というかあきらかにそうだと思う。
なのに、こんな状況で二人っきりでは、どう接していいものかわからない。
なんと応えていいものかわからず、再度とにかく非礼を詫びた。
「その・・訓練の邪魔をして・・すまなかったである」
「気にしてねえよ、食堂のばか騒ぎよりはましだ」
ぼそりと神田がつぶやいた。
クロウリーはその言葉に少し驚き、しばらく神田を見つめていたが、その顔にはほんの少しだけ笑顔が戻ってきた。
クロウリーは少しだけうれしくなってけんめいに言葉を探した。
「わ、私もハロウィンがあんなににぎやかな祭りだとは知らなかったである。秋のおわりは物悲しい季節だから、むしろにぎやかなのは楽しいとおもうんであるけれども。
私のふるさとではごちそうも楽しい風習もない、陰気な夜で。ただ・・万聖節の前夜にはたき火を焚いて死者を供養するのである。親しいものの霊がかえってくるともいわれているので、子供の頃は幽霊が出るかもしれないと怖かったものである。ハロウィンにお化けの格好をするのは、そういういわれかもしれないであるな。
もう今は・・怖くないである。会いたいと思う人ができたから。
どうやら会えそうにはないけれども。
・・・・・・・・・その・・・・」
何の反応も見せない神田の様子にクロウリーは言葉尻を濁したが、思い切って尋ねた。
「・・・神田には、会いたい人は、居ないんであるか?」
闇のふちで、神田が舌打ちした。
「用事がすんだんなら、さっさと戻れ」
神田の声に、クロウリーは深いため息をついた。
「そうであるな、そろそろ戻らないと。アレンたちが心配しているである」
クロウリーは、薪が完全に消えてたことを確かめるように、地面に手をおいた。白煙がわずかに立ち上り、月に向かって融けていく。
ノロノロと立ち上がるその背中に向かって言う訳でもなく、神田はつぶやいた。
「お前の後ろにとまってるヤツ。そうじゃないのか?」
「え?」
クロウリーが後ろを振り返る。その反動で、ずっと背中に止まっていた小さな蟲はひらひらと宙に踊った。
「蝶・・・・?」
「中国あたりじゃ蟲の体を借りて、死んだやつが会いにきたりするっていうぜ。迷信だがな」
はっとしたクロウリーは小さな蝶を見つめた。
「・・・エリアーデなのであるか?」
親指の爪ほどの華奢な蝶は、風にのった薄紫の花びらのように、クロウリーの周囲を飛び回ったかとおもうと、空に向かって舞い上がる。
クロウリーは鼻をすすって小声でつぶやいた。
「会いにきてくれたんであるか?・・エリアーデ」
涙と鼻水にまみれながら、クロウリーは空を見上げ続けると、かすかに笑った。
「迷信だろうとなんだろうと、私は信じることにするである」
神田は応えなかった。
やがて、小さな蝶は鱗をまきながら、けんめいに羽ばたき、白煙を頼るように空にのぼりはじめた。
クロウリーは、空を見上げ、とび去っていく蝶を見つめた。
いつまでも身じろぐことなく見つめ続けていた。
神田は、無言できびすを返した。
躊躇することなく、森の闇に戻っていく神田に、クロウリーの声が遠くから響いた。
「ありがとうである、神田」
クロウリーの控えめな声を聞いた瞬間、神田は一瞬足を止めた。
「礼を言われる筋合いじゃねえ」
言葉も相変わらず仏頂面のまま、かわらず鋭いが、不機嫌な様子は消えていた。しかし、闇を見つめる表情はいつものように見えない敵を見据えるかのように鋭かった。
風上の建物の方角からは相変わらず、にぎやかな笑い声と甘い香りが漂ってくる。
神田はわざと大きく舌打ちをした。
「くだらねえ。だいたい甘いのは」
神田は唇を固く結び、刀の柄を強く握り閉めると居合いで空を切り裂いた。
「まったく、甘いのは大嫌いだ」

<ENDE>