『煮沸済のガーゼを、もっと沢山!』
『増血剤と、点滴の用意、急いで』
『消毒はすんだ?傷の縫合の準備は?』
テキパキとした婦長の指事で、若い看護婦たちがベッドと機材の横をすり抜ける。
「俺は大丈夫だ、ほっとけ」
「いてて、痛いさ!もっと優しくしてほしいさあ」
「ぼ、僕は平気ですから、それより彼を・・・」
お黙りなさい!!」婦長の一喝。
一瞬、患者達が凍り付く。
「全員大人しく!
退院までは私のいうことを聞いていただきますからね!」
婦長は腰に手をあて、エクソシスト達を睨み付けた。
さながら夜叉か般若のような形相だ。AKUMAより千年伯爵より迫力がある。
「は・・い」
幾百の戦場で戦ってきた彼らはあっさりと敗北宣言した。

汗だくで動きまわっていた新米ナースのユウリは、ふと、血泥でよごれた洗浄用脱脂綿を片付ける手を止め、彼らを見つめた。
『エクソシストって・・・本当にタフだなあ』
ズタボロの団服からさっするに、今回の戦闘は熾烈を極めたに違いない。
しかし、患者はというと・・重軽傷に関わらず、みな元気そうだった。
誰一人苦痛を訴える者はない。
様子を伺うため医務室に入り込んできた科学班に、元気な笑顔を浮かべている者もいる。
誰もが自分達の体のあちこちをいじくりまわされることに、早くもうんざりしている様子だった。
ただひとり、意識不明の彼以外は。

 

 

Wimoweh (花獣合歓)

 

方舟が本部の最上階居に固定されると、医務室は蜂の巣を突いたような騒ぎになった。
方舟奪取を成功させたクロス部隊とティエドール部隊のエクソシストたちが突然、東方の果ての江戸から本部に『飛んで』きたからだった。
本部に勤めている新米看護婦のユウリには『飛んできた』という意味はわからない。
分かっているのは、エクソシストたちが誰もかも満身創痍で、早急な手当てと休養が必要だということだ。
最前線で戦っている彼らのためにできる限りの事をしてやりたかった。
ナースである自分にできること、すべてを。
「ごくろうさまね、ユウリ」
山のような空っぽの点滴パックを廃棄処理し終えたユウリに、婦長が声をかけてくれた。
婦長は厳しい人におもわれがちだが、隅々まで心配りのある優しい方でもある。新米のユウリらにねぎらいの言葉も忘れない。
ユウリは少し頬をあからめて
『婦長こそ、お疲れ様です』と小声でいった。

「一段落したところで悪いけれど、毛布とシーツをもうひと組用意してくれないかしら」
「はい。え・・と。また誰かが怪我をされましたか?」
「そうじゃないけど。・・・クロウリーさんがね」
婦長は困ったように首をふった。
(クロウリーというと、背の高い・・前髪の白い、ちょっと牙がある人だよね?
そういえば昏睡したままだったっけ。
容態は安定しているようにみえたけど、全身ひどい傷だらけだったな・・)
ユウリは、無意識に頭の中の患者情報を照合した。
「クロウリーさんの、その・・お腹の虫がうるさくて、他の人が眠れないから。別の部屋に移っていただこうと思って」
「あー、そ、そ、そうなんですか。分かりました。すぐ用意します」
(お腹の虫って・・可愛いけど、こ、これは、笑ってはいけないよね。情報には入れないでおこう)
ユウリは吹きそうになるのを隠すように、急いで踵を返すとリネン室にむかった。

『アレイスタークロウリー三世 さん』
名前を確認し、点滴のパックを入れ替える。
シーツを替え、
よごれた包帯をテキパキとはずし、油紙で押さえた軟こうを慎重に剥がす。
治りかけの傷がガーゼにしがみついていることがあるので、ここは慎重に。
熱めのお湯に浸したタオルをきつく絞り、体中を丁寧にふく。
見た目の華奢な感じよりもしっかりとした筋肉質の体からは、かすかに甘い体臭がする。
少し惹かれるいい香りだが、事務的にやりすごし、それから消毒薬で傷口の血膿を洗い流す。
すでに新しい皮膚が出来ているところもあるが、ほとんど生傷で、深紅の花びらのように体中にまき散れて熟れている。
酷い傷だ。
全身を無数に大きな刃物でさし抜かれ、千々に引き裂かれた皮膚。
ユウリも、ファインダーの手当てをしたことはあったが、こんなのは見たことが無い。
(いったいどのような激しい戦い方をしたのだろう)
ベッドに横たわるクロウリーの姿はあまり戦闘向きとは思えなかった。
エクソシストは戦うたびに、こんなに傷だらけになっているのだろうか。
少し胸が痛んだが、今これを思っても意味はない。
やれることをやる。
それだけが、彼らのフォローになるのだから。

新しい軟膏をぬったガーゼと油紙を当てる。
それから新しく清潔な包帯を巻きなおし、固定する。
最後に、顔にかかる前髪を少し整えてやる。

すうすうと小さな寝息を立てて、クロウリーは目を閉じている。
正常に働いている心臓の鼓動が、静かに横たわる彼の白い髪先までつたわり、わずかに秒を刻んでいる。
いくぶん生気が戻ってきた顔の擦り傷は、乾いて柘榴の色になり、彼の肌の白さを浮き足せる飾り砂のように散らされている。
何か夢をみているのだろうか・・瞼を縁取る長い睫毛が震えることもある。
なにかいいたそうに、わずかに脣を動かすこともあるが・・そのまま深い吐息になり、眠りの淵に沈み込んでいく・・。
・・いい夢を見ていてくれればいいけど。
ユウリはそう、おもいながら毛布をかけなおす。

毎日。
毎日。
傷は少しづつ良くなっている。
でも・・。
「クロウリーさん・・・まだ目をさまさないんですか」
見舞いに立ち寄ったミランダが、沈痛な声で尋ねた。
ユウリはシーツを取り替える手を休めずに、軽くうなずいた。
「ずうっと眠っていらっしゃいます。婦長さんがどんなに大声で呼び掛けても、私達が、包帯を取り替えるためにゴロゴロ動かしてもピクリとも。
昨日は、
ラビさんがここに脱走してきて 婦長さんにおいかけまわされてましたし、
アレンさんは、お昼を持ち込んで まくらもとで見せびらかすように食べていましたけど。
全くだめですね。
まるで呪いにかかった眠り姫みたいですよ」

グウウウ。ギュルルルル。

彼のお腹が盛大に鳴る。
ユウリとミランダは顔を見合わせ、プッと吹いた。
「ずいぶん食い意地はった眠り姫ね。こんなふうじゃ王子様はキスしてくれないかも。
・・・本当は空腹でたまらないのでしょうけれど」
ユウリは、はい、とうなずいた。
「あ、でも点滴で取りあえず補ってますし。目を醒まされたら何時でも食べられるように、婦長さんが準備していますから、心配はいりません」
いってから、ミランダの抱えていた洋梨の篭に気がつき
「まあ、最初は薄めのお粥からですね」と優しく付け加える。
ミランダも、少し気まずそうに篭を抱えなおし、にっこりと微笑んだ。
「そうね。・・・焦らなくてもいいんですものね、もうホームにいるんだもの」
じゃあ とミランダは立ち上がった。
「包帯をかえるんでしょう?そろそろおいとましますわ。
みんなも心配しているけれども、男の人たちは婦長さんに見張られているし、リナリーは・・なんだか中央の方に呼ばれたりで、忙しそうなの。
落ち着いたらみんなでくるから。・・ゆっくり休んでね、クロウリーさん」
パタン。

暖かい日ざしが病室に入ってくる。
クロウリーの小さな吐息。
ユウリは、ふっと息を吸い、いつもの作業に入る。
『アレイスタークロウリー三世 さん』
名前を確認し、点滴のパックを入れ替える。
よごれた包帯をテキパキとはずし、油紙で押さえた軟こうを慎重に剥がす。
熱めのお湯に浸したタオルをきつく絞り、体中を隅々まで丁寧にふく。
それから消毒薬で、傷口の血膿を洗い流す。
毎日。
毎日。
傷は少しづつ良くなっている。
でも・・彼はまだ目を醒まさない。
新しい軟膏をぬったガーゼと油紙を当て、新しく清潔な包帯を巻きなおし、固定する。
最後に、顔にかかる前髪を少し整えてやる。
安心して眠っているとてもととのった貌。
小さく見えている白い牙。

 

 

・・・クロウリーさん。
あなたの仲間は、みんなヤキモキしてるみたいですよ。
ほんとに王子様のキスで、あっという間に目がさめればいいのにね。
・・・早く、目がさめますように。
私からも、おまじない。
ユウリは、クロウリーの頬に両手をあてた。
ちょっとためらい、それからクロウリーの乾いた唇に軽くキスをした。
羽のように軽く。
それから顔中真っ赤になって、よごれたシーツをかきあつめ、そおっと部屋を出る。
ホームの午前中。

外界は今日も慌ただしい。

 

 

・・・すうすうと小さな寝息を立てて、クロウリーは眠っている。
まだまだ眠り姫は目覚めない。
それでも、呪いは、ほんの少しずつ溶けはじめている。
きっとみんなに思われて。
  

 


  <END>

2008.5.31