一緒に行こうと少年は言った。
一緒に行こうと彼は誓った。
どこまでも、
どこまででも、
たとえ地獄の果てまでも…
Margine din lume 世界の終わりに
長い夜の、戦いの終わり。
剛とうなりをあげて季節を凪ぐ風が吹きぬける。
海波のごと生い茂る草原の先は、抉り取るような断崖。
その先には、本当の深蒼の大海原だけがただ広がっている。
クロウリーはその暗い海から吹き上げる強い風に団服の裾を激しく翻しながら 眼舞うほどの断崖の高さに揺るぎもせず物怖じもせず、切り立つ絶壁のふちに立ち上がった。
逆毛だった白い髪は、つい先までの激戮に乱れ、そのするどい牙を覗かせた口元は、おびただしい獲物の貪りを証すようにどす黒く紅い血に濡れている。
発動をとこうともせずに、しなやかな野獣の姿をさらすその背後には、破壊しつくした悪性兵器の群れがおびただしく、地獄の門の飾柱のように累々と黒く重なっている。
しかしそれもつかの間に、イノセンスの力によって浄化され、光子のハニカムに分解されながら天へと向かい昇り逝く。
その見慣れた風景を見てなお、沈痛な表情のアレンがつぶやいた。
「哀れなアクマに魂の救済を。どうか安らかに…」
アレンが『彼ら』のためにささげる祈りにも振り返ることなく、その薄く裂いたような唇を 同じく血で染めて凶々しい爪に装じた手甲でぐっとぬぐいながら、クロウリーは水平の先を見下ろすように漆黒の目を細めた。
水平線の果ての、去り逝く紫黒の夜を。
身じろぐことなく見つめるその様子に気がついたアレンは、クラウン・クラウンの発動を解除しながら、彼に声をかけた。
「クロウリー、大丈夫ですか?」
彼の肉体の怪我を心配しているのではない。
クロウリーが血を流すとすれば、それは体の表面ではなく、誰にも触れることのできない心の奥底だということをアレンは知っている。
外の世界で仲間を得て人のぬくもりを知った今でもなお、その傷口は深く、誰にも治癒し得ることはないのだということも。
この年上の仲間にとって、戦いは欲望であり、生きる理由であり、そして痛みそのものでもあるということも。
だからこそ、クロウリーが遠くを見つめているとふと心配になることがある。
ここにありながら、ここにいないのではないかと。
ふいに消えてしまうのではなかろうか、と。
馬鹿な考えだとわかってはいるが、血に染まって闇に浮かぶ友の姿があまりに美しく思えるときにはなおさら。
少年は友の立つ千尋の断崖のふちにそっと近づき、肩が触れるほどすぐ隣に並ぶと、明るい笑顔で深く空気を吸い込んだ。
「うわー!すごい風景だなあ。こんな場所で戦っていたなんて、今まで暗くて気がつきませんでしたね。あ!たしかこの先は北極海ですよ。ほら北極星があんなに高く…」
いつもなら胸をすくような傲慢な言葉が帰ってこない。闇より暗い目は物憂げに水面を捉え続ける。
アレンはさらに声を朗じた
「まるで世界の果てに立っている気分ですね」
顔を見上げる友は、風に吹かれるまま、はるか大海を見つめ、ただわずかにうなずいた。
「ああ」
暗い声音に響くのは、少年の気の回しすぎか。
だが、海原の溶ける闇を見つめながらクロウリーは静かに人の姿を取り戻すと、かすかに一人ごちる。
「ほんとにこの先には何もないのであろうか」
「え?」
「ただ…ただ闇だけが」
かすかに震える、声。
「世界の終わりまで、闇だけが続いていくのだとしたら…」
闇を見つめたまま
クロウリーが見つめるものが暗い海原でないことを知り、少年はやわらかくたずねる。
「…怖いですか?クロウリー」
ようやく振り返ったクロウリーの瞳がアレンを捕らえ、苦労の末に口元に困ったようないつもの笑顔が載せられるのをみて、アレンは次の言葉を根気よく待ち続けた。
クロウリーは「はは…」と声なく笑い
「怖くはないである」といい
「たぶん」と付け加え
「いや」とかぶりを振って
「アレンたちと一緒なのだから」と今度こそ強く笑う。
大丈夫である
何度も繰り返す呪文のような、言葉。
その笑顔を見た少年は、何もいわず、手を差し出す。
神にのろわれた醜い左手の温かさに、鋭利に研ぎ澄まされていたクロウリーの紅髄の爪が溶けて滴り落ちる。
結ばれた二つの手を血に染めながら。
一緒に行こう
世界へ
そこが死より惨い場所でも
一緒なら
世界の果て、地獄の果てへ、
その先へも
「あ!クロウリー!!ほら見て」
アレンウォーカーはうれしそうに叫んだ。
かすかに白み始めた水平の果てに顔をむけながら
「闇のむこうから…朝がきます」
一緒に行こう
いつかかならず
… 明日 へ
ende 20091230