「僕が預かってもいいのかい?」
コムイの問いかけにクロウリーは静かにうなずいた。
クロウリーの白く奇麗な手の平には、様々な色をした宝石のような小さな種がひと掴みほど乗っていた。
「私は、エクソシストになる時に、お祖父様の古代植物たちに火をかけた男である。一度彼らを見捨てたことのある者に、育てる資格は無いような気もするのである」
「そんなこと無いですよクロウリー」
アレンが辛そうに言うと、クロウリーはその頭を優しくなでながらいった。
「いいんであるよアレン。私が、自分の都合で花たちごと城を爆破したのは事実なのであるから。私はそのことも忘れてはいけないのである。
それに今の私に、この食人花の種をきちんと育ててやることは、実際出来ない話であるし。
コムイ室長。科学班には、植物の専門家もいるのであろう?新しい本部で、よい環境を選んで、適任者が育ててくれた方が、花たちも私も安心である。それに、もともと教団のモノでもあるのだから」
コムイは静かにうなずいた。
「そうか。そういうことならわかったよ。責任もって、僕がうけとっておく」
ラビが髪をくしゃくしゃと掻きながらぼやく。
「やれやれ、死にそうな目に会ったのに、クロちゃんはホント人が良すぎるさ」
クロウリーは頭を振った。
「私は何も危害は加えられていないである。花たちは、あの場所が長くもたないことをもう知っていたのであろう。だから未来に命を残す為に必死だった。それだけのことである」
「けどさ!実際エリアーデのー」
「ラビ!」
アレンに制されて、ラビはあわてて言葉をのんだ。
クロウリーは、一瞬唇を震わせたが、長い時間をかけて、無理矢理やさしく微笑んだ。
「そのことでみんなには、心配をかけてしまって…すまなかったである。
でも、アレに悪気は無かったと、信じているである。ただ、種を託す為に…私を喜ばせようと。…たぶん、出来る限りのお礼のつもりで…」
クロウリーはそれ以上何も言えず、うつむいた。
彼の願いを叶えること。
叶うことの無い願いを形にすること。
それがどれだけ残酷な仕打ちなのか、食人花たちには理解さえ出来なかったのだろう。そして、クロウリーにはそんな愚かな想いも拒絶することができなかったのだ。
「ひとつだけ、聞いてもいいかな」
長い沈黙を砕いて、コムイが静かに言った。
「あの花の擬態は『本物以上に本物らしい』と言われてるそうだ。生き別れの相手だろうが、死者だろうが、その人の心の望む通りに化けるんだからね。どうして本物ではないと思い切れたんだい?」
問われたクロウリーはひどく哀し気に、しかしきっぱりとした口調でつぶやいた。
「私の牙が…イノセンスが、『彼女を壊したい』と囁かなかったから…」
「そうか」
コムイはそれ以上何も聞かなかった。

 

 

突然、室長室の扉が強く開かれた。
「アレイスター クロウリー!!こんなところで何をしているの?」
その声に、室内のエクソシストたちは反射的に凍り付いた。
「ふっ」
「婦長お?」
「婦長さん!!」
阿修羅のような形相の婦長は、しんみりした場の空気にはおかまいなしにずかずかと入り込んでくると、クロウリーの特徴のある右耳をつかんで容赦なく引っ張った。
「い ま ま で ど こ に い っ て た の か し ら?
あなたは!まだ!!入院中なんですけど???」
クロウリーは赤くなったり、真っ青になったりしながら悲鳴を上げた。
「ごっ、ごめんなさいである婦長さん。もうしません。イタタタ!絶対しないである、許してほしいである!イタイであるっーーごめんなさいいい!」
降伏宣言を聞いた婦長は、耳を離し、ほっとしたように息をつく。
「本当に無事でよかった。探しましたよ。ナースたちもドクターも、そりゃもお必死で探したんですから。無事だったことをみんなに感謝しなきゃね」
働く女の凄まじい握力に掴まれて真っ赤に染まったクロウリーの耳が、獣のそれのように下がってしゅんとした。
「迷惑をかけて、本当に申し訳ないである。ただ、私は自分だけ何もしないのが心苦しくて…少しでもみんなの力になりたかったのである、かえって、お手間をかけてしまったであるが…」
すっかり涙目になっているクロウリーに、婦長はカーディガンをかけた。
「だったらこれ、ちゃんと袖を通しなさい。その方が動きやすいわ。
ナースの一人が階段の途中に落ちているのを見つけたんですよ。癒えたばかりの傷を冷やしてはだめよ。ま、その元気があれば大丈夫でしょ。
さて、ドクターも了解してますし…よろしいですわ。室長」
婦長と目をかわしたコムイは、にこやかに両手を組み、とびきりハンサムな声で告げた。
「じゃあ、エクソシスト アレイスタークロウリー三世。今より、現場復帰を認めます。……つまりぃ退院ってことだよ」
アレンもラビも、クロウリーも一瞬きょとんとして、コムイと婦長を見た。
「ぃやった!」
「おめでとうクロウリー!ようやく退院ですよ!」
「へ?」
状況が飲み込めないクロウリーは、牙の見える口をぽかんとあけた。
「ほんとうに長かったけど、これでようやく退院ね。おめでとう。アレイスタークロウリー」
婦長の、見たことも無いような優しい顔が、クロウリーの目の前で笑ってくれた。

 

 

エピローグ

ステンドグラスで飾られた窓からは、秋らしいオレンジ色の日没の輝きが差し込んでいる。
部屋全体が暖かな空気に包まれ、空気の中の塵がきらきらと輝いていた。
ここが、クロウリーの部屋だ。
明後日にはもう新しい本拠地にむけて離れてしまうけれども。

テーブルには小さな本が一冊。
これはラビがくれたものだ。
「俺と違って、クロちゃんには、引っ越しの荷物が必要さ?」
…だそうだ。
クロウリーの目の前で、ラビがページを開くと、そこには今までみんなと旅をした世界と、まだいったことの無い世界の地理が描かれていた。
そしてラビは、新しい本部のあるロンドンに小さな印をつけると、にやにやと笑って「迷子にならないように印といたさ」といい。本を渡してくれた。

本の横には、華奢な花瓶に赤い薔薇が一輪飾られている。
それはリナリーがおいてくれたもの。
初めて部屋に入ったときに真っ先に目についた。
「家具が何にも無いのも寂しいでしょ?それに、このほうがクロウリーの部屋らしいかな?って」
リナリーの愛らしい笑顔がいつまでも脳裏に輝いていた。

他には何も無い。
手を伸ばせばすべてに手が届きそうな小さな部屋。
けれども、これはクロウリーの新しい住まいだ。
アレイスタークロウリーは、小さな部屋をゆっくりと見渡し、少し固めのベッドに腰掛けると、ころんと寝転がった。
「…エリアーデ」
彼はかすかにつぶやいた。
「ようやく、みんなのところに戻れたような気がするである」
それから彼は目を閉じた。
「今日は…本当に驚いたである」
彼は、つい先ほどの感覚を思い起こして、かすかに身震いをした。
擬態とはいえ、心の奥にしまい込んでいた五感を存在として呼び起こされ、喜びを生身を以て味わってしまったことに。
 エリアーデの髪。
 エリアーデの声。
 エリアーデの肌。
 忘れたことはない。
忘れたことはないが、二度と触れることは出来無いと覚悟していたあの感覚。
一瞬でも自分がそれを味わったことは否定できなかった。
 ーあれは夢だったのだ。
そう思うことにしようと決めた。
だが悪い夢だったのだろうか、いい夢だったのだろうか。
「…いい夢だったことにしておくである!」
瞳からあふれてくる透明な液体を指で拭ったクロウリーは断固としてつぶやいた。

心地よいノックの音が響いた。
『クロウリー。夕食を食べにいきませんか?』
アレンの声だった。
アレイスター クロウリーは、軽やかに身を起こし、部屋の外に出た。
「やあアレン。おなかペコペコであるな!」
クロウリーの笑顔を見たアレンも上機嫌でうなずいた。
「ほんとです。いつもより遅くなったから、おなかすきましたよねえ?
そうだ。クロウリーは食堂で食べるの初めてですよね!僕おススメ料理教えてあげますね。それから食事のあと、科学班の本の整理を頼まれているんですが、よかったら一緒に…」
クロウリーは、アレンの話に相づちを打ちながら、彼らと同じカーディガンを羽織り、
ゆっくりと自分の部屋のドアを閉じた。

 <ENDE>
2009.1.7〜13