6日目 夕刻
クロウリー捕獲作戦再開。

作戦ポイントを魔法薬草の温室に変更し、ふたたび餌をまく。
ランチャー班が木の影に待機し、我々ワクチン製造班はカモフラージ用のテントで息をひそめた。また元帥たちの群れの接近にそなえ、周囲の見張りを強化。陽動の為の特攻班を選出し、周囲に配備。万が一のトラブルを回避する計画だ。
我々はひたすら待ち続けた。
しかし…アレイスタークロウリーはなかなか姿を現さない。夜の帳が深くおり、日付が変わろうとしていた。今夜は出現なしか?という考えがよぎったころ、
アレンウォーカーが動いた。
自らの縄を解き、たちあがると、私が制するのも聞かず、闇に向かって言葉を投げ始めたのだ。以下、私が記憶する限りを記しておく。

クロウリー聞こえますか?
聞こえているんでしょう?
きっと、暗闇のどこかでぼくをみてるんですよね?
だって、いままでだっていつもぼくをみてくれていたでしょう?

ぼくは…ずっとまってるんですよ。
ずっと。
ずっとまってた。ずっとずうっと心配していた。
きみが目を覚ましてくれるのを
まってたんです。

覚えてますか?旅の途中で、ぼくら約束したじゃないですか。
ホームに戻ったら、いっしょに美味しいごはんをたくさん食べましょうね。
暖かい陽射しの下でゆっくりねむりましょう。それからいっしょに話をしたり、本を読んだり、笑ったり…って

戦いは辛いけど、でも楽しい事がたくさんあるんだって。生きるのは素敵なことなんだって…ぼくいったじゃないですか。
きみは笑ってうなずいてくれたじゃないですか。

だから
ねえ?
はやく
はやくぼくのところへ
帰ってきてよクロウリー!!

アレンの言葉が聞こえたのだろうか。疾風が温室の中に吹き荒れた。
温室の天井のガラスが砕け散りながら降り注いだかとおもうと、血のように赤々い巨大な羽根をもった半裸の生きものが温室の中央に仁王立ちに立ちはだかった。体温感知型のサーチライトが、すぐに彼の姿をとらえると、まぶしい輝光に浮かび上がるのは、まぎれもなく寄生型エクソシストのアレイスタークロウリーだ。魔王のごとき羽根は、血塗れたように紅く輝き、その牙はアラバスターのような怪しい光を放っていた。その姿は子供の頃に読んで震えた邪教の術書に描かれた魔神人(まじん)そのものだった。
なんという禍々しさか!なんという気高い獣か!
私は思わず身震いした。智医務すべての人間が、一瞬にしてその圧倒的な邪悪と壮絶な艶かしさに心奪われた。
罠と悟ったのだろう、クロウリーは我々の一瞬の怯みを捉え、咆哮しながら再び跳躍し、温室を脱しようとはかった。あまりの素早さにネットランチャーが追いつかない。
いかん!逃げられる!
その瞬間、クロウリーの体が、床に引き戻され、無様に叩き付けられた。その足首にはいつの間にかアレンウォーカーのクラウンベルトがしっかりと巻き付いていた。手負いの肉食獣さながらに半狂乱でもがき絶叫するクロウリーの体を、クラウンクラウンの白い帯が幾重にも縛り込んでいったのだ。
「バクさん!早く!」
言うにや及ぶ!私は暴れ狂うクロウリーの腕に採血器をあて、自分でも見ほれるほど鮮やかな手さばきでその血液を採取した。カプセルの培養液に滴下し、ワクチン精製用に開発した機械に放り込む。あとは時間との勝負だ!
だが、それまでクロウリーを捕縛する事は可能か?アレンウォーカーは必死で耐えていたが、ゾンビ化しているクロウリーのバカヂカラは半端無い。壮絶な拮抗がそこには展開していた。ビキビキという音がして、あのクラウンベルトがゆるみ始めている。
なんと言う怪力だ!クロウリーの獣のような絶叫が響く。智医務の者たちがランチャーを構えるが、すっかり気圧されて引き金を引く事が出来ない。私は傍らの一人からランチャーを奪いとると、もみ合っているウォーカーとクロウリーに向けて撃ち、叫んだ。
「何をしている、この期を逃すな!」
私の声に奮い立った者たちが、次々とランチャーを撃ち込む。捕獲網が、黒々と二人を包み込み、今やその姿が見えないほどだ。その間にもその中で壮絶な格闘が行われ、ウォーカーがクロウリーに噛まれて、再ゾンビ化するおそれが充分あった。
チンという機械音が鳴り響くや、私は精製機から出来上がったばかりのワクチンを取り出し、迅速に注射器にセットした。私がクロウリーの首筋に針を突き立てるのと、クロウリーが捕獲網を振り切るのはほとんど同時だった。クラウンベルトも完全に解けかけている。
「バクさん!」
ウォーカーが叫ぶ。
良かった、あれほどの乱闘の中、奇跡的に彼は噛まれていないらしい。私はうなずきながら注射器の針をさらに深く突き立てると、ワクチンをすべてクロウリーの体内に注ぎ込んでやった。投与したワクチンは、数秒で効き目を見せるはずだ。
だが…予想に反してクロウリーの動きは止まらなかった。彼が、怒りをあらわにして、一気にクラウンベルトをはじき飛ばし、私をはねのけて、バサリと大きく羽根を広げた。
なぜワクチンが効かない?
床に転がりながら、私はとっさに集積回路のような自分の脳を働かせた。
しまった!もしや。
私はコムイが作成したとおぼしきワクチンの残骸を思い起こしていた。もし、あのワクチンが既に一度クロウリーに与えられていたとしたら…。私の脳裏に映像を見るようにその情景が思い浮かぶ。
ワクチンを与えられたクロウリーが正気を取り戻す、その直後にコムイらが他のゾンビ一派から襲撃を受ける。もし、クロウリーが他のゾンビに噛まれて再び感染していたりすれば、このワクチンにすでにかなりの耐性があるはず。その場合効果が現れるには、通常以上の時間がかかる…。
まずい!
そうとわかれば再び彼を逃がす訳にはいかなかった。ここで逃がせば、正常化した頃に、またゾンビに襲われるだろう。再々感染ともなれば、もはやその体にワクチンはきかなくなってしまう。
「ウォーカー!ヤツを捕まえろ!」
アレンウォーカーは、自らクロウリーに駆け寄ると、逃がすまいとその躯にしがみついた。狂犬のように暴れるクロウリーを両腕にしっかりをかき抱く。
「絶対離さない!クロウリー!!」
ウォーカーの言葉を聞いた私は起き上がると、手探りで温室の一つの柱に駆け寄った。最悪の場合を想定して、設置しておいたトラップ。
これだけは使いたくなかったが…
いたちごっこはここで終わりにせねばならない。これまで犠牲になってくれた智医務の者たちの顔が、私の脳裏をよぎる。彼らの勇気を私も引き継がねば。

リナリーさん!

私の犠牲が貴女を救う道になるのだ。
私は全力で柱を引き倒した。
大轟音とともに温室のガラスの天井が割れ、クロウリーとウォーカーと私の上に
巨大なスズメざるがおおいかぶさった。

7日目  

事後処理についてはあまり記するべき事はない。
その後、問題なく大量のワクチンが培養され、隔離していたザコゾンビから粛々と治療が行われた。また、当初の捕獲候補であったミランダ ロットーが正気に戻った事により、事態は大きく進展した。正常化した彼女の能力『刻盤』のタイムアウト発動により、懸念された元帥クラスの捕獲も容易に行われ、夜明け前には事態はほぼ沈静化していった。
すべて計画通りである。
ほとんどの者は、睡魔に襲われて、すぐに気を失ってしまった。現在、教団フロアというフロアが、死んだように眠る者たちで足の踏み場も無い状況となっている。
数日は使い物にならないだろうが、生命の危機に瀕している者は幸い一人も無く、我々は心から安堵した。
ただ、個人的な感想だが、リナリーさんの救助を自らの手で行えなかった事は悔やまれてならない。
我々が、スズメざるの中から脱出するまでに、指令代行を託していたジジ・ルウジュンらの働きで既に9割のゾンビが正常化されていた。むろんその中にリナリーさんや、今回の事件の元凶とも言うべき室長コムイも含まれている。リーバーの証言によれば、やはりこのウィルスを製造したのはコムイであった。むろん、証言を聞くまでもない事だが、

コムイの犠牲者となった気の毒なアレイスタークロウリーの経過について記載せねばなるまい。
彼にワクチンの効果があらわれるまでには、実に1時間近くを要した。なまじワクチンに対する耐性があった為、ざるのなかでは急性の禁断症状のような苦しみに襲われている様子だった。その姿はあまりにも惨く苦しく、私は全く正視出来なかったほどだ。
悶え苦しむ間、ずっとタイツ姿のアレンウォーカーがだき抱えていてくれた事が、彼にとって多少は好影響をなしていたと信じたい。
疑問が一つだけ残った。
今回の事件において、クロウリーは一度もアレンウォーカーを噛もうとしていない。ゾンビの特性である走好性はたしかにウォーカーに対して示されており、噛むチャンスはいくらでもあったというのに。最後の戦いでもウォーカーに牙をむけようとはしていなかった。これはどういうことか。
ゾンビウィルスの原液を摂取し理性を失った彼に、それを踏みとどまらせる本能以上の何かが働いていたのか…。
クロウリーに、それを尋ねても答えは永遠に得られないだろう。
ゾンビ化している間の記憶は、彼には全く残っていない。結果として、その方が彼の為にはいいのかもしれないが。
現在、クロウリーは、深い昏睡状態にある。他のゾンビと異なり、原液を飲まされた事により、限界を超えるほどの筋肉緊張を強いられ続けていた彼は、おそらく回復にかなりの時間を要するだろう。
再び病院送りとは、何とも運の悪い男だ。
だが、次に目を覚ますときには、こんどこそ彼の大切な仲間が傍にいるに違いない。正常化した元クロス部隊の面々の心配そうな様子を見て、私はそう確信する。

事件の沈静化を確認した智医務亜細亜はひとまず解散とする。我々にも休息が必要だ。
だが、今回の事件を決して忘れてもらっては困る。この事件は伯爵側の陰謀ではない。これは我々自らの傲慢が招いた事件なのだ。科学に対する傲慢、知識に対する傲慢。犠牲に対する傲慢。
我々は心を引き締め、よりいっそうの精進をもって伯爵との戦いに挑まなくてはなるまい。
と…
この事を憂う我々をよそに、室長のコムイは相変わらずの厚かましさだ。いつものことだが、室長のコムイ リーは、これだけの事件をひきおこしておきながら自分の責任も認識せず、まったく反省の色が伺えない、感謝の言葉さえ無い。今すぐぶちのめしてやりたいところだが、そばに付き添ってはなれようとしないリナリーさんに免じ、こらえる事にしよう。この兄妹の仲の良さには入り込めない雰囲気さえあって、私は少なからず嫉妬を感じている。
まあ、でもリナリーさんが治ってよかった。
リナリーさんの太陽のような笑顔を見るとそれだけで、報われた気持ちになる。
彼女の笑顔をもって事件の収束とし、報告の締めくくりとする。

なお、
今回の一連の事件報告により、我々アジア支部、ひいてはこの私バク チャンがいかに優秀かつ有意義な存在か、納得していただけたと思う。今後の人事においてはぜひとも考慮いただきたい事項である。
             黒の教団アジア支部 支部長バク チャン


            -教団本部における団員ゾンビ化事件記録 了 -2009.4.9から16