壁に叩き付けられたクロウリーは、したたか血反吐を吐いた。
肋骨がミシミシと嫌な音を立てている。肺が片方つぶれたのか 焼けるように熱い。
呼吸するたびに胸のなかでグブグブと嫌な音がする。
ノアの双子が想像した『自分』は、予想以上に強かった。
それでもクロウリー自身、日々進化し鍛練し、イノセンスとの結びつきも強くなっている。
過去の自分の幻などに通常ならまける相手ではない。
血が足りないのだ。
クロウリーが口にしているのは、腕輪についたわずかな血だけだ。
すでに様々なトラップをくぐり抜けてきた彼は、アクマの血の効力を失いかけていた。「・・おっさん、オレの血を」
「だまれ」
クロウリーはアクマの言葉に耳を貸さず、鏡の自分にむかって蹴りかかった。しかしその足を取られ、引きづり倒されると、そのままボールのように蹴りあげられる。
身体が高く弧を描いて空を舞い、次の瞬間 重力に引かれて落下する。
床に叩き付けられ、体中の力がぬける。
うずくまったままのアクマが叫ぶ。
「オレの血・・吸えって。殺されっぜ・・」
「やかましい!!」・・・ここで死ぬ訳にはいかない・・
けれども死んでもアイツは吸わない! とクロウリーは決めた。
吸えば、なにか大切なものを失う。
・・・それがなにか、自分でもまだよくわからないが・・・みぞおちに、容赦のない手刀が突き立てられる。
「ガッ・・・は」
クロウリーの口から驚くほどの血が溢れ出る。
彼は首を鷲掴みにされ、高く持ち上げられ、ぶん!と投げられて、うずくまっているアクマの近くに落ち、そのままズタ袋のように転がって喘いだ。
疲れを知らない自分の影が、ゆっくりと近付いてくる。
・・・殺られるな
ぼんやり思った瞬間。
視界を金色の髪が埋めた。
半分壊れかけているアクマが、全力をふりしぼってクロウリーの身体に走りよった。
おおいかぶさりながら、その柔らかな唇をギリッと噛みきると、クロウリーの口に重ねる。
その唇から溢れる血(オイル)が、クロウリーの喉に流れ込んだ。
次の瞬間、アクマはクロウリーの身から引き剥がされて壁に叩き付けられた。
『げ・・ほ』アクマは苦しそうに身体を屈する。
クロウリーに影が迫る。ゴクン・・・
なれた血の味が口に広がる。
刹那にクロウリーのからだが瞬時にたぎり、力がみなぎる。
快楽に似た高まりに全細胞が唸り、咆哮がほとばしる。
「ウオオオアアアアアアア!!!!!」
クロウリーは身を起こし、あらん限りの力を込めた血の右手で影を薙ぎ払った。
ズシュ!!
影の首は、一瞬で切り落とされ、高く吹き飛んだ。
それは床に落ちる前に砂になり、続いて首を失った身体も崩れ散ったしかしクロウリーはそれを確かめることもせず、立ち上がるとすぐさまアクマを拾い上げた。
もう時間がない!
クロウリーはアクマを抱え込み、壁に思いきり体当たりした。
黒曜石が砕けちり、二人の身体は塔の外に躍り出る。
地平の太陽は、いままさに姿を隠そうとしていた。
はるかに見下ろす地上に、街の灯りがちらほらと見える。
ヒョオオォォオオ
空中の冷たい空気に髪を梳かれ、その身は加速しながら自由落下していく。
太陽の最後の光が飲み込まれ、塔が轟音をあげて爆発すると同時に
ZAMMM!!!!!
と、物凄い地響きをあげて大地に着地したクロウリーは、今度はアクマを抱えたまま風のように疾走した。
彼らを襲うように、巨大な岩が上空から隕石のように降り注ぐ。
クロウリーは最後の力をふりしぼって、巨岩の雨の下を走り抜けた。
日没
粉塵が舞い上がり、塔が完全に崩落するころ。
彼らはすでにその場を離れ、人のいない街はずれの裏にたどりついていた。
アクマをほうり出したクロウリーは、肩で息をしながらその場に倒れ込んだ。
「まったく!人の唇を奪いおって」
恐ろしく不機嫌なクロウリーはどなり散らすように言うと、自分の袖でグイグイと口をふいた。
息も絶え絶えのアクマがふて腐れて呟く。
「なんだよ・・・死ぬところだったんだぜ。礼を・・言ってほしいな。
どうよ、オレの・・・キスの味は」
「最低だ!!今すぐ口をすすぎたい」
クロウリーの悪態をよそにアクマは力なく笑った。そうして笑いの果てに不安そうな表情を浮かべた。
「オレ・・まだ・・綺麗か・・な」
「本当に・・・変わったアクマだ」
ゆっくりと立ち上がって団服のホコリを払いながら クロウリーは言った。
「綺麗かどうかおしえてくれってば」
アクマの問いかけに、クロウリーはまじまじと彼をみた。
ノアに痛めつけられ、すでにボディの半分がこわれかけていた。
鋲に打ち抜かれた部位は崩壊しつつあり、オイルをまきながらチカチカとダークマターの破片を散らしている。結い上げていた長い髪はすっかりほどけて乱れ 金の糸のように捲きちれて、キラキラと体中にまとわりついていた。
口元からはまだ血が滲みでて、むりやり口紅をぬりたくったように赤い。
それでも、彼の容貌は、毅然と華やかで、輝いていた。
クロウリーは 大真面目に「ああ」とうなずき、アクマに手をかしてやる。
「そ、・・・・・よかった」
にっこりと笑ったアクマは、苦労して身をおこすと右手をのばした。
が、
クロウリーの手に その手をかさねることはせず、
ふいに鋭く大きな刃物に転換(コンバート)して クロウリーに振りおろした!
クロウリーが反射的に左手で防ぐ。
次の瞬間、
クロウリーは腕に生暖かい血が滴るのを感じ、硬直した。
「な・・ぜ?」
アクマは、自らの意志で、クロウリーの突き出された左腕に胸を貫かれていた。
刺し貫かれながら アクマは、それでも嬉しそうにクロウリーを見つめている。
「ごめ・・おっさん。
オレわかち・・まった・・あんたが助け・・きてくれたとき。あんたが・・血を吸ってくれない・・理由・・・」
ジジジジ、ガガガ。
アクマの身体中で嫌な音が鳴り響き、崩壊が始まる。
「それでも・・わりい
これはオレのわが・・まま。吸われなくて・・いい・・から・おっさんに壊・・してほしかっ・・。
オレ、
おっさんの名前・・聞いて・・・ねえや。
・・おしえ・て・・」
美しいボディが 灰になりはじめる。
発動が溶けはじめたクロウリーは静かに言った。
「・・・アレイスター クロウリー」
アクマは最高の笑顔を浮かべた。
「アレイスター・・・・・イカスね、おっさ・・」
サラ・・・
クロウリーの左手がふいに軽くなった。
夜の帷がおりる。
星が瞬き、月が登る。
街のガス灯が点りはじめ、ショーウィンドウに色とりどりのきらめきが宿る。
昼から夜の表情に変わった街は、相変わらず人通りもあり、にぎやかだ。とても長いこと 呆然と立ちすくんでいたクロウリーは、
その暖かな光の方角に気づき、ようやく顔をあげた。
自分の場所へ帰らなければ・・・・アレン達が心配しはじめる時間だ。
混乱と苦い気持ちを苦労して飲み下し、重い足を踏み出し、ゆっくりと人の輪の中に向かう。が、
足を止めて振り返る。
クロウリーは長い時間かかって、ようやくそれに気がついた。友だちの名前を知らないことに。
街で出会った
美しくて風変わりな・・・
<END>
2008.6.21