「ラビ!ラビ!大変である!」
クロちゃんの本当に慌てた声がして、オレは読み終わりかけた歴史書から目をはなして、外を見た。汽車がくるまでには未だ少し時間があるはず…。なにか目新しいモンでもみつけたのか?クロちゃん。
スペイン バレンシア地方の片田舎。冬も近いのに眠くなるほど暖かい小春日和の。
ゲートが設置されている都市の中心部に向かう列車のダイヤには若干の余裕があって、二人は多少の暇をおのおの持て余しながらくつろいでいるところだった。
「んん?クロちゃんどしたんさ、なんかあったんか?」
少し離れた黒い影に遠めの声をかけてみる。
無人の停車場の古くて乾いた柱の向こう、低く詰まれひび割れたレンガのプラットホームのはじっこに立っているクロちゃんが、風に上着のすそをおおいに引かれるのも気にせずただ空を見上げている。
ぽかんと開けた口元には大きな牙が鋭すぎるほど暴かれ、そこだけに目を引かれればまるで闇から這い出てきた魔王のような美丈夫なのに。その眼差しは…まったく初めて祖父の田舎ですごく夏のたおやな少年のように好奇という水分でみたされてきらきらと柔く輝きを放っている。

恥ずかしい話、死の間際には天使もしくは悪魔ってヤツはこんな面差しをかぶってやってくるのではないかとオレは一瞬心を奪われた。
でもそれが、アレイスタークロウリー三世という名前の、今のオレ=ラビの仲間である事をすぐに思い直して、彼の見ているモノを見る。
見上げる、空には。
金色に輝く太陽と、それを喰むように重なり合っていく黒い月が、あった。
捉えられた獲物のようにじっと動く事が出来ない太陽と、うって変わって目で追える早さでみるみるその輪にのしかかる獣のように 月が陽をおかしていく。空は次第に紺碧から瑠璃に紫紺にとその色をかえていった。
「大変であるラビ…太陽が食べられてしまうである。夜がきてしまうである」
クロちゃんがいささかおびえたような声で、呟いた。
オレは天空のまぶしさに、片目だけの翠眼をさらに細め、頭の中で知識の天球儀をまわしながらにやりと笑う。
「ラッキー!!すっげええ。そっか、今日は金環蝕さクロちゃん」
「キンカンショク?」
一瞬、空から地上にその眼差しをおろしたクロちゃんとオレの目が合う。クロちゃんの瞳は、太陽を宿していて発動している時のように金色に光っていた。俺はその瞳の輝きから目が離せなくなってあわてて空をあおぎながら教える。
「数十年に一度、太陽に月がぴったり重なって光をさえぎるのが皆既日食つって、金環蝕っていうのは、ほんのちょっとだけ太陽の光のほうが大きく見えるのをいうんさ。オレも見るのは初めてだけど、すごくきれいなんさ。まあ見てなって…っっと、おっと直接ガン見は駄目さ。目が焼けちまうから、目線を外しながら見るといいんさ」
「わかったである!ラビは本当に何でも知っているであるな!」
クロちゃんは素直にこくんとうなずくとほんの少し目を細めて、それでもじっと空を見上げた。
光が暗黒にとらわれ、昼が夜の腕に完全に抱きしめられた瞬間、闇を縁取るように青白い光粒子がほとばしり結び合うと、ぱっと花火が燃え上がるような勢いで環を結んで莟を開く。
クロちゃんがため息をついた。
「美しいである。まるで金の指輪のようで…」
「そうそう、だから金環蝕っていうんさ」
「お日さまと…お月さまが結婚して、その結婚指輪みたいである。光と闇も結ばれることができるのであるな」
「…結婚…ね」
ークロちゃんらしい無邪気な表現さ。
と、空を見上げて思っているオレの耳に、ぐすん…とクロちゃんが鼻を啜る音がした。
壮大な天体のショーに感動したのだろうか、その美しさに心うばわれたのだろうか。それとも…。
漆黒のマントが金色の流れる髪を抱きしめる姿が、オレの網膜でフラッシュして、ほんの少しだけちくんと痛んだ。
太陽と月、昼と夜、光と闇
出会うはずがなく、結ばれるはずのない二つが結ばれる。
クロちゃんはその理に自分の記憶を重ねたのだろうかとオレもほんのちょっと感傷的になりかけながら、彼の横顔を振り返る。
ほどなく金の指輪は割れ、手を取り合った闇と光はやがて引き裂かれ、別々の世界を歩み始める。
一つは過去に残され、一つは未来へ進み…

明るくなり始めた空の下で、オレは天体を見上げる事を忘れ、クロちゃんの白い頬に涙が流れているのを見つめていた。
オレが自分を見つめている事になど気がつかない様子で、クロちゃんが小さな声で呟く。
「一瞬の…わずかな、短い出会いであるな」

「そうだな、だけど、一生わすれねえさクロちゃん」
「………そうであるな」
ようやくクロちゃんは空を見上げるのをやめ、オレを振り返った。

汽車の汽笛が遠く響く。
オレは、わざと大きなため息をついてみせた。
「さあて!クロちゃん、ぼちぼち汽車がくるさ。さくっと帰りますか」
「了解である」
クロちゃんは白い頬をごしごしをこすってにこっとわらい、ゆっくりとした足取りで衣裾を翻すと、オレのすぐ隣を歩き出した。

それでも時々
天をあおぎながら…




-ende-  Eclipse Solar Dorado  金環蝕2009.5.27