エピローグ



-0:22:43

「うわっ!」
まるでベッドから落ちる夢を見たときのような間抜けな叫び声をあげて、アレン ウォーカーが飛び起きた。
手に触れるのは、湿った大地と草の感触。
頭上には深い木々の枝が茂り、陽射しがいく筋もの紗のように差し込んでいる。
しっかりと確かな地面の上に自分が横たわっていた事に、ようやく気がまわる。
「生きて…る」
あわてて仲間を捜す。
「クロウリーッ!」
「なんだ?」
すぐ隣で声がした。
「ようやく目が覚めたか、小僧」
振り返ると、ミランダを抱えたクロウリーがすぐ傍らに立っていた。
「ク、クロウリー!きみ、怪我を?」
アレンは彼の有様を見て慌てて起き上がった。
大丈夫だ、とクロウリーは笑った。
だが、クロウリーの団服は、激しい戦闘時にも考えられないほどにズタズタだった。青白い顔には、早くもなおりかけているいくつもの傷跡が、まだ血凝りとなって残っていた。腕からは明らかに血が滴り落ちているのがわかる。未だ発動を解いていない彼の逆立った白い髪はすっかり泥をかぶって乱れ、おまけに針葉樹の枯れ葉がたくさんまぶれている。
彼は口元から溢れ出てまだ乾かぬ自分の血を枯れ葉と一緒に吐き捨て、面倒くさそうに指で拭った。
「たいした事は無い、服はぼろぼろになったが。爆風に乗ったおかげで、落下速度が緩んだのがよかった。お前が気を失った時にはさすがに慌てたがな」
アレンはそれ以上何も言えなかった。
何がどうなったのか聞いても言ってくれないだろう。
彼の酷い有様に比べて、自分はほとんど無傷だ。
クロウリーは命がけで自分たちを守ってくれたにちがいない。
アレンには落下したときの状況が容易に想像できた。
「ミランダさんは?」
クロウリーがひざまずくと、その腕の中ですやすやと寝息を立てるミランダ ロットーの顔が見えた。アレンはようやくほっとして、額をぬぐった。
乾いた枯れ草の上にミランダを優しく横たえたクロウリーが少しぼやく。
「よくもまあ、気持ちよさそうに眠ってくれる。まったく人の気も知らないで」
ミランダの顔を覗き込んだアレンが少しだけ笑う。
「ヒヤヒヤしましたけど、本当によくやってくれましたから、ミランダさん」
「まあな」
クロウリーは後ろをむくと、木々に引き裂かれてズタボロになってしまった上着を肩から外し、眠っているミランダに、そっとかけてやった。
その後ろ姿に少しだけ驚いたアレンは思わず声をあげる。
「クロウリー!その背中…」
「…なんだ?」
跳ね上がった白い髪の毛に、大量にくっついている針葉樹の葉を身震いながら、クロウリーは聞き返した。
「…いえ、何でも………」
アレンは言いよどんだ。
「あの…ありがとう、クロウリー」
「おたがいさまだ。礼を言われる筋合いじゃない」
クロウリーのじつに無愛想な返事が、発動中の彼らしい。



自分たちを守りたい、飛びたい!という想いが、クロウリーに無意識にそうさせたのか。
あるいは極限の発動状態が引き起こしたのか。
クロウリーの背中には、コウモリのそれを思わせるような一対の翼が生えていた。
それは血色に濡れて赤く輝きながら、肩甲骨から突き出すように大きく、薄く折りたたまれている。
アレン ウォーカーは、旧本部壊滅事件のときにもその羽根を目撃していた。
その時には背中にさし抜かれた刺々しい槍のように思われたが…さらに幅広く雄々しくなっているように、アレンには思えた。…といっても、その身を支えて羽ばたくにはまだ脆弱な翼だが、ひょっとすると、落下するとき風を受けて滑空する手助けにはなったのかもしれない。
もしクロウリー自身が、その事実に気がついていないなら、そのままにして黙っておくべきだろうと、アレンは思った。
気がついているのだとしても彼自身が語るまではまつことにしよう。

同時に、寄生型の盟友(とも)が、未だまったく進化の過程にある事を思うと複雑な気持ちになる。
いつかクロウリーは、禍々しいほどの巨大な羽ばたきで、天空を凌駕する者になるのだろうか…さながら夜魔たちの皇のように…
クロウリーはそれを望むのだろうか。
憎むのだろうか…。

(道化師って言うより、白い悪魔のほうがしっくりくる…)
ふいに、アレンは方舟の中でティキの言った言葉を思い出した。
クロウリーの苦笑いがかぶる。
(天使か…似合いそうにない)

「お互い様です、ね」
アレンは誰にも聞こえないように一人ごちると、心にいいきかせた。
ー でも、どんなことがあっても僕は、きみと。
ー…僕らは…前へ。
そんなアレンの想いにシンクロしたかのように、クロウリーが呟いた。
「やれやれまったく、天使にはほど遠いな。まったくブザマな落ちようだった。空を飛ぶなど…やはりガラではないか」
彼は木漏れ日の木々の天井に自分が穿ち開けた穴を見上げた。発動を解き、柔らかそうな草むらにごろりと大きく転がる。いつのまにか、深紅の羽根も解けるように消えていた。
心地よさそうに深呼吸して、草の湿った香りを吸い込んだクロウリーは伸びをした。
「……やはり、地面は安心であるな。空の上よりずうっと気持ちいいである。もう、飛行船はこりごりである。今は、ゆっくりでも…この足で一歩づつ進むほうが、よほどいいである。
それにしても、はああ…くたびれた…ちと眠いである。…助けがくるまでの間、休ませてほしいである」
アレンも彼に歩みより、傍らに座り込むと、クロウリーと同じように転がった。
深緑の梢の先に青い空がみえる…
「ほんと、くたびれましたねえ。ミランダさんも眠っちゃったし、そのうちみんなが見つけてくれるでしょうから、それまで急がず休みましょう。僕も休憩します…」
が、あわてて身を起こして、念を押した。
「あ!でもクロウリー。ちゃんとすぐに目を覚ましてください、よね?」
一瞬、怪訝な顔でアレンを見上げたクロウリーは、それが冗談だとわかり軽やかに笑った。
「当たり前である」
木々の間を茂る下草が、彼らの背中に柔らかい。
そのうち、リンクたちや、近くのファインダーが、彼らを発見してくれるだろう。
そうして二人は、泥のような眠りに、落ちた。

抜けるように碧い天蓋からは、アレンを探して飛び回っていたティムキャンピーが、螺旋を描いて、舞い降りてくる…。
ゆっくり、ゆっくりと…
なにごともなかったように。




-ende- 2009.2.17〜27