「1…か。まいったさ」
だが、彼は怒っているわけではないのだとラビにはわかっていた。
自分に言い聞かせているのだ…。
どんなにつらい目にあっても闘う理由を忘れないために。
生きる為に。
「…そこ、いってもいいさ?」
返事はない。
「おじゃまするさー」
少し下の屋根から声をかけたラビは、足場を探しながら苦労して上りはじめる。
「ひゃー!ここ、高いさ。よくそんなところによじのぼったな、クロちゃ…うわっ」
足を滑らせたラビは真っ逆さまに落ちた。
瞬間、しなやかなクロウリーの腕がラビの胸ぐらをつかみ、彼を捕まえる。
「さ、サンキュ。クロちゃん。死ぬとこだったさ」
「…」
自分の全体重を胸元で支えられたラビは、のけぞったまま子猫のように持ち上げられた。そのままわずかに平らな場所へ荷物のようにどさりとほおりだされる。
見上げると、顔を背けたままのクロウリーの背後に満天の星空が見えた。
「ひょー、すげええ!クロちゃんみてみろよ。星がすげえ奇麗さ!」
そういわれて、思わずクロウリーも空を見上げた。
相変わらずラビの言葉には返事をせずに、白い息を吐きながら、クロウリーは空を見つめ、漆黒の目を細めた。
鈴を振る音がするような満天の星が、天蓋に瞬いている。
まるで黒いビロードの上にダイヤモンドのくずを打ち撒いたように、星々が輝き、煙のような乳色の光のうねりを横たえていた。
「すっげえ数の星だな。空気が冷えているせいか。天の川ってのが銀河の固まりだって話、目で見ても納得いくさ。小さいけど、一つ一つがちゃんと瞬いてやがる」
「ああ」
クロウリーはかすれた声で、ようやく言った。
「すごいものだな」
そうして二人は長いこと空を眺めていたが、ラビが口を開いた。
「……なあ、クロちゃん。さっき俺に聞いたろ?俺のしていることに意味があるのかって」
クロウリーは答えなかったが、かすかにその髪を揺らして身じろいだ。
「俺のやってることは、きっと多かれすくなかれ、多分あの星空の星を数えるようなことなんさ。
知ってる?あの星全部にそれぞれにちゃんと名前があるんさ。大きい星だけじゃねえぜ。天の川のミルクみたいな小さな星屑も。あれ全部に、だぜ?
昔の誰かが何世代もかけて、全部の星をかぞえたんさ。そして、それぞれに名前をつけてその星が存在することの証を記録した。
だから曇って見えなくても、たとえ流れ星になってなくなってしまっても、俺らはその星のことを知ることができるんさ」
よっこらせ、といいながら、ラビは起き上がるとクロウリーの横にちょんと座って星を見上げた。
「でも…クロちゃんのその目には、俺がみているよりもっとたくさんの星が見えるんだろうなあ。もしかしたら、誰も見たこともないし、誰も知らない星も見えているかもしれねえさ。
それはクロちゃんにしかわからない。
けど、俺は知りたいんさ。
自分の限られた命と時間で知ることの出来るすべてを。
出来ればそれ以上のことも。
それこそクロちゃんにしか見えない星も見てみたい。
クロちゃんが感じたことも、経験したことも、うれしいことも、哀しいことも
自分に触れることができるなら、そのすべてを、知りたい。
星の数を数えて名前をつけるように記録したら、すくなくともそれはクロちゃんが存在する証になるって、俺は思うからさ」
「私が存在する…証」
「そ。そしてその証を記した一冊のBookに俺自身がなるんさ」
「自分が存在する証…か」
クロウリーは何かを思い出すように、ふっと笑い、憑き物が落ちたように安堵のため息をはきだした。
「…ずいぶん小汚い本だ」
「え?わるうござんしたね、つか、それは失礼さ?」
ラビがベロを出す。
ようやくクロウリーは声を立てて笑った。
つられてラビも微笑んだ。
「…ごめんなクロちゃん。つらい思いさせちまって。さっき、そばに居てやれなくて。きっと一番言われたくないこと…」
「つらくなどない」
クロウリーはすっと立ち上がった。
「もう…平気だ」
クロウリーはマントを大きく跳ね上げると、疾風のように塔から飛びおりた。
軽やかに石畳の道路に着地し、ラビを見上げ、言った。
「31」
「え?」
彼は大きく牙を見せて笑った。ゆっくりと発動がとけていく。
「私の勝ちだ。これで7勝4敗だな。さっさとおりてこい小僧。
…きっとリナリーたちが心配しているである」
言うが早いか、クロウリーはさっさと歩き始めていた。
ラビは、しばしあぜんとしていたが、ほっとため息をつくと
「なんだよ。くやしいな」
とつぶやいた。
そうして空を見上げる。
一見、数えきれないほどの星が、彼の頭上に輝いていた。

「今度はきっと、負けないさ」

<ENDE>2008.12.22