パキ、パキピシピキ・・
幽かだか、確実に不吉な音は聞こえた。
ヴィーは、どうしょうもない焦燥感に襲われながら、懸命に『彼』を支えていた。
「・・・・もうすぐ夏だな」
『彼』=クロウリーはといえば、暖かな陽光をあびながら立ち、怒ったような声で、しごく呑気に呟いていたりする。
動かなくなりはじめた右手を面倒臭そうにあげて、後ろに逆立った白い髪をぽりぽりと掻き、傍らの少女をみやる。
「なんで泣いてる?」
闇を宿した金の瞳をけげんそうに細めながら、クロウリーが呟く。
隣に寄添うファインダーの少女ヴィーはあわてて、涙を拭いながら気丈夫な様子をふるまった。
「そ、空が凄く蒼いからですよ!」
その言葉を聞いたクロウリーも、初めて気がついたというように空を見上げた。
初夏の真綿のような雲をちらした空は抜けるように蒼く、どこかでひばりがさえずっている。
「ああ・・・いい天気だな」
「・・・はい」
-駄目だ。涙が出てくる!
クロウリーはやれやれといわんばかりのため息をつくと まだ動く左手でヴィーの頭をポンとたたいた。
「心配するな。まだ時間がある。それまでにリナリーは必ず戻るといったのだから」
「はいぃ。分かってます・・・でも」
涙が止まらない。
クロウリーさんは、自分の代わりに死にかけているのというのに!!
「心配することはない。完全に体が石になる前にリナリーが戻ってくれば、コムイの薬でなんとかなる」
淡々と言い放つと、クロウリーは再び空を見上げた
「・・いい天気だ」
BASK IN THE SUN (陽のあたる場所で)
すがしい青葉のなかに、クロウリーは立ち続けていた。
というより、立っているしかないのだった。
今、クロウリーの体は、足下から徐々に石になり始めてる。
パキパキ・・・
時折、嫌な音がクロウリーの体を這い上がってくる。
その音を聞くたびにファインダーとして供をしてきたヴィーの顔色が青ざめ、涙が溢れる。
とうのクロウリーは動じる様子でもなく、そのつど面倒臭そうに退屈そうに、彼女に話しかけてくる。
彼が、ヴィーを気づかっていることはヴィー自身わかっていた。
だから泣いている場合ではない。
けれども悔しいくらいに涙もふるえもとまらなかった。それは任務の途中でアクマの群れの襲撃を受けた時のこと。
レベル2までのアクマなど、クロウリーとリナリーの敵ではなかったが、
道案内をしてきたファインダーのヴィーがアクマに襲われた。
とっさに彼女を庇ったクロウリーは、モロに攻撃をうけたのだ。
もちろんすぐに返り打ちにしたが・・・・・「クソ!あのガラクタめ。人を石にする能力など古臭い」
もう10回はつぶやいた悪態をクロウリーは再び口にした。
リナリーによると石化はよくある能力らしい。
教団の科学班がすでに解明済の能力とかで、解除薬も開発されているという。
先だっての本部襲撃でも、ブックマンが似た様な能力のアクマにやられたが、解除可能だった。
リナリーは薬を取りに疾風のようにコムイの処まで空を駆けていった。
かれこれ1時間前の事。パキ・・・・ピシパキ・・・・
クロウリーは、すでに胸より下はほとんど石像のように固まってしまい、歩くことも座ることも出来ない。それどころか、ヴィーがささえていなければ、バタンと倒れてしまいそうな様子だ。
「ぶざまだ・・まったく耐えられん」
これは始めてのぼやき。
「すみません。クロウリーさん、私がー」
「お前のせいではない。自分が油断しただけだ」
クロウリーは それ以上何も言わせぬ断言をすると、ふう と声を出してため息をつき、気を変えた。
「・・・・お前は、まだ何故ファインダーになったんだ?」
いきなりで動揺する。
「え?な、なんですか突然」
「まだガキのくせに、こんな仕事を選んだ理由が聞きたいだけだ」
ガキ・・とは失礼な。
ヴィーはむきになって反論する。
「もう、大人です!何でも一人でできるんですから。ボタンも満足にかけられないようなクロウリーさんなんかよりずっと大人ですよ!」
いいながらクロウリーの団服の襟の外れたボタンをかけなおす。すぐ下まで石化が迫っているが、クロウリーには悟られないように努力した。
クロウリーは反論せず、心地よさそうに笑った。
「ふ・・そうか」
笑いが誘うたのだろうか、彼は険しい表情を解き、発動を解除していった。
白い前髪が乱れて落ち、柔和な眼差しの青年に戻る。「・・・で、どうして『なった』のであるか?」
優しい笑顔を向けられたヴィーは、なぜか顔を赤くした。
「す、好きな人が教団で仕事してるからです!」
「ほお・・・そうであるか」
クロウリーは、してやったりと言う顔でヴィーを覗き込んだ。
「ふふん。そんな単純なこととわ。やはり子供であるな」
なんと言う笑顔。
ヴィーは体中の血液が顔にあつまったかのように本当に真っ赤になった。
「もう!手を離しますよ」
「わわ、かんべんしてほしいである」
二人はひとしきり笑い、そして同じように空を見上げた。
「じゃあ、どうしてクロウリーさんは・・・」
エクソシストになったのか
そういいかけたヴィーは、それが愚問であることにすぐに気がつき、黙り込んだ。
エクソシストが不可避な宿業の持ち主であることなど周知の事実だ。
クロウリーは誰にも語らないが、イノセンスと共に歩むことを決意するには、言葉に尽くせない痛みがあるに違いないのだから。
「・・・・リナリーさん遅いですね」
「そうであるな・・・でも、きっと、大丈夫である」
死を前にしてどうしてこんなに穏やかでいられるのだろう。
仲間を信じているからなのだろうか?
それもきっとある。
でもそれ以上に、彼には覚悟があるのかもしれない。
死よりも、もっと大切な何かのための・・・・覚悟。「・・・涙が止まったであるな」
ヴィーはうなずいた。
「それでいいである。
たとえ・・たとえ最悪の事態になっても、泣いてほしくない。ヴィーがここに居てくれてよかったと思う。
おかげで恐怖がまぎれた。
ひとりだったらこの長い時間をマトモに過せたかどうか、分からないである。
だから、お願いだから、最後まで笑っていてもらえるだろうか。
逝く前にこんなに可愛い少女を泣かせたとあっては、
私も好きな人に怒られてしまうであるから」-少女・・か・・・でも、
今はそれでもかまわない。彼の優しい心を無下にしたくない。
ヴィーは、その優しい声のすべてをこぼさないように、ゆっくりうなずいた。
ひばりの鳴き声だけが聞こえる。
風もなく、本当に静かだ。
パキ、パキパキ
「ウッ・・・ク・」
苦痛があるのだろうか、クロウリーは一瞬顔をゆがめたが、すぐに飲み込んだ。
石化がさらに進み、もはや首の辺りまで生気のない色に変わり結晶化しはじめている。
「ク、クロウリーさん!」
「し、心配いらないである・・と、ところでヴィー、少しだけ頼みがあるのであるが」
「な、なんですか?言って下さい」
クロウリーは、ぎこちなく微笑んだ。
「髪を・・・ちょっと整えてくれまいか?このまま石の彫刻・・・になるのはなんとも・・・かっこわるいである」
それは
きっと私のためのことばだ。
私を悲しみに置き去りにしないために。
ヴィーは、いそいで、クロウリーの顔を抱えるように背伸びして、乱れた柔らかな髪に指を入れ、前髪をさらさらと撫でた。眼にかからぬ様に指でまとめてやる。それから短い黒髪を後ろにかき、整えてやった。
それから少し困ったように告白した。
「でも、好きです」
「な、なにがであるか?」
パシ・パキパキ・・・
顔が石になりはじめる。
「クロウリーさんの髪が乱れてるとこも!」
ヴィーはありったけ笑顔を浮かべた。
「それは・・光栄の至・・・・」
ピシ
音が・・・・止んだ。
「クロウリー さん?・・・・・クロウリーさん!!!」
ヴィーはクロウリーを抱え、あらん限りに絶叫する。
その瞬間、
黒い稲妻の少女が、ヴィーの目の前に降臨した。
眼をあけると、
ヴィーがいた。
「もう、泣かない約束である」
クロウリーがつぶやく。
「泣いてません。これは・・・これは汗ですから!」
グシグシと涙をふいたヴィーは怒ったように言った。
・・・・見なれた天井が、みえる。
教団の医務室?
クロウリーがぼんやりと回りを見渡す。
婦長が例の様子で、毅然と立っているのがみえた。
「婦長さんである・・・。それに、リナリー・・・?」
ヴィーの隣で、リナリーが優しい笑顔を浮かべた。
「遅くなってごめんね、クロウリー。ギリギリで間に合って、本当によかった」
「ああ・・・。私はまだ、生きているであるか」
クロウリーはほっと息をつくと、布団に身をゆだねた。
「また入院であるな」
婦長が横から口を挟む。
「贅沢言わないの。命があったことを感謝なさいクロウリー。本当にあぶなかったんだから。
さあ、お見舞いの時間はここまで。お嬢さんがたとは、しばらくお別れよ」
クロウリーは弱い笑顔をみせながら「ありがとうである」と呟いた。「あ。それからヴィー。告白するが・・・」
振り返ると、彼の長い腕がヴィーの胸元にのびた。
「私だって、ボタンぐらいかけられるである」
クロウリーは、ヴィーのはずれていた上着のボタンをかけなおし、付け加えた。
「・・・いいひなたぼっこだったであるな。いつかまた」
こんどこそ屈託の無い笑顔でヴィーは笑い零した。はい!!
いつかまた二人で。
蒼い空を浴びに。
<END>
2008.6.29