Wagtail -恋教鳥 セキレイ-

 

 

快晴
絶壁の上に立つ教団の敷地内の森のどこかで、小さな鳥たちが歌っている。
崩壊のすすむ旧教団のテラスには、めずらしく午後の陽射しが降り注いでいた。
引っ越しの準備がすすむなか、ようやく先の見通しが出来始めたエクソシストたちは、ほんのつかの間の休息時間を持てるようになっていた。
めいめい思い入れのある建物の居心地のよい場所に過ごす時間が多くなり、穏やかな時間が流れていく。
眠くなりそうな陽射しの中で、
アレスタークロウリーはいつもの黒いマントの代わりに真っ白なシーツを首から巻いて、神妙な顔で椅子に座っていた、
後ろに立って、てきぱきと動き回っているのはアレンウォーカー。
手には、銀色に輝く小ぶりの髪きりはさみを携えている。
「ぼくは、長いのも素敵だったと思うんですけど」
銀色のはさみを動かす手を休める事無く、しかしアレンはいささか残念そうに言う。
「このまま長くのばしてみたら格好良かったかもしれないのに…マントに長髪、きっとクラシックで似合いましたよ」
「そういわれると少し気持ちが揺れるのであるが…」
言葉とは裏腹に、さばさばした口調でクロウリーが断言する。
「心の乱れは身だしなみからと、お祖父様もおっしゃっていたである。第一、きっちり短くしておかないと私自身がどうも落ち着かないのである。アレンがそういってくれる気持ちは嬉しいけれど、やっぱり私にはあの髪型が一番似合っているのである。それに」
うっとりと目を細めながらクロウリーは至福のため息をついた。
「なんだか…すごく気持ちがいいのである」
アレンは、あはは…そうですね。とうなずいた。
「久しぶりに良く晴れたから」
「そうではなくて…誰かに髪を切ってもらうのは本当に久しぶりで。
お祖父様がなくなってから、なにもかも一人でしてきたから」
その言葉に、アレンの手はほんの少し止まりかけたが、すぐに動きを取り戻した。
アレンにはその言葉の意味がよく分かった。それがもはや快楽に近い感覚であること。
人の手が、髪をすいてくれる。自分に触れてくれる。
抱きしめてくれる。
孤独な身の上にとって、その暖かさと柔らかさがどれほど幸福な感覚なのか、アレン自身も身にしみてよくわかる。
自分以外のぬくもりに初めて触れた記憶は、皮膚に切ないほどにやさしく焼き付いて、おそらく死ぬまで忘れる事はない。
たぶん、クロウリーも同じように。
「だから…アレンに切ってもらえて、嬉しいである」
クロウリーの小さなつぶやきに、アレンはなぜか胸が一杯になって言葉が出せなかった。
ただ、黙って髪を切り続ける
シャキシャキシャキ…と規則正しい軽やかな音が響き続け、やがて止まった。
「さあ、出来ました。おつかれさま!」
元気よく言ったつもりが妙にかすれてしまった声にアレンはいささか紅潮しながら、クロウリーの白いシーツをはぎ取った。
かつてのように、素肌を黒い上着で覆い固めた姿とは打って変わり、教団の身軽なインナー姿で白く伸びた腕をむき出しているクロウリーが陽射しのもとに立つ。出会ってからまだ一年にもみたないその姿は、出会った頃よりはるかに精悍に見えた。

丁寧な礼を述べたクロウリーは、手渡された小さな鏡のかけらをのぞきこみながら、右手で自分の襟足をそっと確かめ、感嘆の声を上げた。
「すごい!アレンは実に器用であるなあ。私が自分でやると真後ろがトラ刈りになってしまうのであるが、ほんとに奇麗に仕上がっているである。」
心から嬉しそうに喜んでくれるクロウリーを見て、アレンは妙に心落ち着いてしまい、再び赤面した。
なんだかクロウリーの笑顔も久しぶりな気がする。
彼が眠ている間に いろいろな事がおこりすぎた為だろう。
けれどもそれはもうすぎた事だ。今は、彼が目の前に笑っている。
その笑顔がアレンを安心させ、この先の不安を和らげてくれる。その事自体がアレンにとっては嬉しい感覚だった。
「いやあ。昔とった杵柄ですよ。僕も、ずうっと自分の髪は自分で切ってますしね。マナと居た頃はマナの髪も…」
一瞬想いを馳せる。
自分の伸び放題の髪を丁寧にすいて、奇麗に切ってくれたマナの大きな、手。
暖かくて、柔らかくて、二度と取り戻せない大きな、手。
その喪失感に、今までの安らいだ気持ちが割れ、一瞬胸が痛む。
あわてて、目線を落とし、現実の風景に意識を戻すと、
クロウリーの足下には、削ぎ落とされた彼の黒髪がキラキラしながら結構な量の小山を作っていた。
「髪の毛、だいぶたくさん切れましたね」
気をかえるように明るくアレンが呟くと、クロウリーは言った。
「そうであるな。小鳥たちが、喜ぶである」

 

 

「小鳥?」
聞き返されたクロウリーは手を伸ばし、自分の髪の毛のくずをひとつまみつまみ上げた。
「知らないであるか?こうして切り落とした髪くずは、木の枝にやうろに引っ掛けておいてやるんであるよ。城にいた頃はよくそうしていたのである。そうすると小鳥たちがやってきて、きれいに全部にもっていってくれるのである」
「食べる、んですか」
アレンのこわごわした質問に、クロウリーは、笑い声をたててかぶりをふった。
「まさか、食べたりしないである。小鳥たちは、これで巣を作るんである。ほかにも毛糸とか、羽根とか、柔らかい材料をたくさん集めてふかふかの巣を作って、卵を産んで、ひなを育てるのである」
「ああ、なるほど。へえ、面白いですね、知りませんでした」
アレンは言いながらほんの少し想像した。
小鳥たちが巣を作る。彼の髪の毛を上手に編み込んで。
彼のきれいな黒い髪が柔らかく編み込まれて、その上で小さなヒナたちが眠る。
青い空を夢見て眠るのだ。
たとえ明日自分たちが終わったとしても、ヒナたちはその先の未来へ飛んでいくだろう。
そう思ったとたん。なんだか、それを少しうらやんでいる自分に気がついた。
その黒いつややかな髪で仕上げられた巣に、自分の白い髪の毛もほんの少し混ぜてほしくなった。
それに…
「ぼくも…そろそろ切ろうかな」
束ねた髪をなでながら遠い眼差しで、誰に言うでもなくアレンはぼそりと呟いた。
薬で伸びてしまった長髪は、時間と共にもとに戻る、とは言われているが…アレンは髪を切る感覚を思い出したくなったのだ。
ジャキリと言う金属の音に触発されて、鳥肌の立つような、切羽詰まったようなあの感覚。

とつぜん暖かい手が、彼の髪に触れた。
「え?」
クロウリーの手が、アレンの頭を2〜3度撫でると今度は両肩にのせられ、彼を椅子に導いて座らせた。
「クロウリー?あ、の」
「ならば、今度は私が切ってあげるである」
「え…、クロウリーが…ですか?」
「大丈夫!任せるである。私とて、昔とった杵柄であるから」
クロウリーは、アレンが使っていた銀色のはさみを取り上げて、きし、と音を立てた。
「今までのアレンの髪型なら、よくわかっている。かっこ良く仕上げてみせるである」
クロウリーはニコニコと笑っている。しばし、その顔を見ていたアレンもついに、つられてほころんだ。
「えーと…じゃあ、お願いしようかな。あ、でもトラ刈りは勘弁してください」
「もちろん!くれぐれもちゃあんと注意するである」
クロウリーの細い指がアレンの襟足に触れる。
思わずため息をつきたくなるような心地よい時間に身を任せながら、
アレンはただひたすらクロウリーの手が触れてくる感覚に研ぎすまされる。
心が温かく満ちていく事実を 素直に味わいつづけた。

どこか遠くで、小さな鳥たちが恋の歌を歌っている。
風をはらむ、いつものクロウリーの立ち振る舞いによく似た親しい音がして…
真っ白なシーツの海が、アレンを呑み込んだ。

-Ende-2009.4.4