薔薇は赤
赤は何色?

赤は血の色
炎の色
哀しみの色
かなしみの…



 Winter Crimson  薇ーふゆそうびー



クロちゃんの様子が変だとアレンが言い出したのは、大晦日が迫った夜の事。
いや、正直言うと俺、本当はもっと前から薄々気がついていた。
ただその儚気な掴みどころの無い翳りに、俺はちょっと興味をもってしまったのかもしれなくて…
今の今まで手当もせずに、そのまま熟すのを待っていた。ごめんよクロちゃん。
心の中で何度か呟く。
ああ、こんな風に呟いてもよくわからねえよな。
簡単に言えば
俺はクロちゃんの心に芽吹いたなにかに ちゃんと触ってみたかったんだとおもう。
なんつうか、それは観察者の欲の深さ。あるいは自分に対する自虐。
自虐?んん、そうじゃねえ。
いましめ…?
そう、ブックマンの後継者としての縛めさ。



「うわー!すごいごちそうじゃないですか?どうしたんですか、これ」
クロス元帥の情報をあつめに、町に出かけていたアレンのヤツが輝くような笑顔でテーブルにちかよってきた。
「すごいであるな、おいしそうである!」
アレンはともかくヤツの後ろに控えているクロちゃんも、目の前の料理の大皿を見て、少し信じられないような表情をしている。まるで子供みたいにキラキラ目を輝かせてるし、ほっぺたがピンク色に染まってる。
そんなにはしゃぐなよ大の大人が、と思ったけど…
そりゃそうか。
この旅に加わってひと月ちょい。
教団から経費が落ちるといったって、観光旅行ってわけじゃない。
寝泊まりはほとんどボロ教会の固いベッドや木賃宿。
食事も温かけりゃごちそう、水とパンがあれば上等ってこともあるし、野宿だってざらじゃない。
移動に次ぐ移動の毎日。アクマと遭遇すれば即戦争。流浪に慣れた俺らブックマンにだって、けっこうハードなルーティーンだ。
故郷で迫害されていたとしても、温かな暖炉の部屋で柔らかな天蓋付きのベッドで寝た事しか無い男爵様には強行軍だと思う。
それでも、今まで弱音も吐かずにがんばってきたのは、やっぱ、あの辛い出来事がある為なんだろう…
命より、大切な物をうしなったんだから。



熱々のチキンをテーブルに配りながらリナリーは転がる鈴のような可愛い声で笑った。
「近くの農場のおかみさんが、急に産気づいちゃって。私がダークブーツでお医者様を呼びにいってあげたの。でね、無事に男の子誕生!このごちそうはそのお礼だって」
「へえ!そうだったんですか」
「で…この花はなんであるか?」
「へ?花?あ、ほんとだ。花がいっぱいですね」
クロちゃんの言葉を聞いて、アレンはようやく部屋が花で一杯なのに気がついたらしい。俺らが泊まらせてもらっている教会は、宿舎も礼拝堂も色とりどりの薔薇で一杯だった。
寄生型二人が顔を見合って笑いあう。
「アレンはごちそうに気を取られ過ぎである」
「そ。そんな事はないですよ!で?こっちはどうしたんです?リナリー」
「その農場っていうのが、薔薇を育てている農場なの。跡継ぎ誕生のお祝いに教会にお花をたくさん寄付されたんですって。この花はそのおすそわけ」
「冬の薔薇であるな。いい香りである」
クロちゃんが深く香りを吸いながら上機嫌でいうとリナリーがうなずいた。
「でしょう?食卓にこんなにあるとちょっと豪華よねえ」
「さあ、さめぬうちに馳走をいただくとしよう」
ジジイの言葉に、皆うなずき、テーブルを囲む。
珍しいぐらい、豊かで温かで穏やかな晩餐



「この辺りはいろんな花の生産が盛んなのですって。冬でも薔薇って咲くのね」とリナリーが感心する。
「冬に咲く薔薇を作るのはとても大変なのであるよ」と、クロちゃんがあれこれ話を始める。
ジジイがしたり顔で言う。「ふむふむ、この辺りは温泉の地熱で温室が作りやすいのじゃろうな」
「おいアレン、ゆっくり味わって喰えよ」と、俺がアレンを少しからかう。
「あじわってまふよ、すごくおいひいでふ」アレンの言葉に皆が笑う。
にぎやかな会話のある食卓

ふと、クロちゃんが動きを止める。さらにうつむいて、静かで深いため息をつく。
何かを思い出すように、ひどく苦しそうに息が震えて、少しだけ呼吸が止む。
俺はそれを『見て』るけど、気がつかない振りをする。
いつもならこれだけで終わるから。
けど…今日は違った。
あいつはそっとフォークをテーブルにおいて、動かなくなった。
「…。あ、れ?クロウリー?どうしたんですか?」
「気分でも悪いのクロウリー?」
「骨でも喉にささったかの?」
「な…なんでもないである…ちょ、ちょと、食休みである」
立ち上がると、ぎこちない笑顔を残して席を立つ。自室にこもり、それっきり。
不安そうにアレンが見送り、それから、俺の顔を見る。
(どうしようラビ。クロウリーやっぱり変ですよ)
顔に書いてる動揺に、俺はわざとらしく笑顔を作っておどけてみせる。
「ベロでも噛んだんじゃねえの?そのうち戻ってくるさ」
「そ、そうですよね。じゃあ僕。クロウリーの分、とっておきますね」と優しいアレンは大皿にごちそうを取り分け始めた。



「クロウリー、ホームシックとかでしょうか」
誰もいない食卓の向こうで、アレンがぼそりと呟いた。
「ここ数日、時々急にものすごく辛そうなんですよ。笑って話をしてても、急にふさぎ込むし…。涙ぐんでるときもあって。
あれからひと月近くたって、少し落ち着いてきたと思ったのに。…そりゃあ相変わらず、夜はうなされたりしてるみたいだけど。最初の頃とは様子が違うんです。
僕はサーカスにいて、ふるさとってものを知らないから、感覚がわからないけど。やっぱり住み慣れた場所が恋しくなったり、してるんでしょうか」
さすがに、アレンは気がついてたか…
俺は軽い声で言う。
「んなことないんじゃねえの?辛い記憶しか無いような故郷だぜ?
んま、確かにおちついてきたんだろうな。…きっと、今までは環境の変化についていくのが精一杯で、考える余裕がなかった事をあれこれ思っちまうのかもな。なにしろ勢い任せに戦場に身を投じたみたいなもんだしさ」
俺の言葉に、アレンのヤツが凹む。
「僕が、あんな風に…この戦いに引きずり込んだから…」
「いや、どのみちあの時はあれ以外にクロちゃんを助ける方法は無かったって。…アレンは間違ってないさ」
よいしょっと言う感じで、俺は、重い腰を上げ、椅子から立ち上がった。
「でもまあ、ほおっとく訳にも行かないさ。俺、ちょっとクロちゃんの様子を見てくる」
「お願いします。僕、なんだか話がしづらくて…」
思い詰めたような表情でアレンが頭を下げた。
まったく、仲良しだなふたりは。
俺はちょっと苦笑した。



薔薇の飾られた通路を通って、俺はクロちゃんの部屋をたずねてみた。
「おーいクロちゃん。ちょっと話さねえ?」
ドアをノックするけど、返事が無い。
「おっ邪魔っしまーす」
いつもの軽いノリで勝手に入り込む。
クロちゃんは、ベッドの上に膝を抱え込んで座っていた。
「…腹でも痛いの?大丈夫さ?」
「大丈夫である」
泣いたらしい涸れた声。
俺は、気がつかない振りをして、クロちゃんのベッドによじ上ると、すぐ隣に座った。
「何があったか知らねえけど…元気だすさ」
「問題はなにもないし、それに…私は元気である」
「…そ…」
嘘つき、どう見たって黒いもやもやが立ちこめてるじゃん。
俺は一つ息をすると、いきなりクロちゃんに襲いかかって、くすぐった。
クロちゃんが身もだえて悲鳴を上げる
「や、やっめ、ラビくすぐった、であ、あはゃはは、きゃはははは、やは、やめて」
「元気なら笑えばいいさ?」
「ンヤ、きゃは、ひい、いや、やめ、ひゃは、ははは」
俺から逃れようとするクロちゃんが女の子のようにぎゃあぎゃあいいながら、身を捩り、くすぐり続ける俺を枕でぶっ飛ばした。
「ぐはあ!」
俺は派手に吹っ飛んでみせる。
ここ笑いどころだぜ?クロちゃん。
「いきなり襲うなんてヒドいであるラビ。私は大丈夫だと言っているであろう」
憤慨しながら、俺の顔をにらもうとして…でもクロちゃんはおこった顔を作り損ねて顔がくしゃっと歪んで子供のようにパタパタと涙を落とす。
復活失敗。
それを見られるのが嫌だから、髪をかきあげる振りをして、涙をぎゅっとこすった。
俺は、深くため息ついてもう一回ベッドに座り直し、天井を見つめる。
クロちゃんの涙を見なかったことにする。
「アレンが心配してるぜ」
手のひらで顔を覆ったままのクロちゃんの髪がぴくんと動く。
「そりゃ、クロちゃんもイノセンスに選ばれちまった人間だけど。あいつは巻き込んだのは自分だって思ってるのかもしれねえさ。クロちゃん。毎日生きるか死ぬかの瀬戸際で、悲しい事や苦しい事ばっかで、一緒に来た事を後悔してるんかもしれねえけど、でもいつもアレンや皆や、俺がそばにー」
「違うである!」
クロちゃんが大きな声で否定した。自分でもびっくりしたみたいに次の言葉を探してる。
「…違うである。…逆である」
逆?
「た、戦うのは辛いし、人が死ぬのを見るのも嫌である。でも、アクマと戦う事が、今の私の生きる理由…なのだから後悔など、ない。怖くない。
……怖いのは、みんなといる時間…幸せそうに笑っている自分が、こわいんである。今が、あんまり暖かくて、満ちていて」
あ、ヤバい、クロちゃん爆発しそうだ。
鬱積していた不安が吹き出しそうに、しゃくり上げながら懸命にしゃべる。
「不安なのである。わ、忘れてしまうの、かもしれないとお、思って。このまま。一番大切な事を。あの痛みを。自分の…罪を、え、エリアーデの…」
クロちゃんは、怖い夢を見た子供のように俺の胸にしがみついてワッと泣き出した。

そっか…
クロちゃんには忘れてはいけない事なんだよな。絶対覚えてなきゃいけない事。
俺と同じように。
俺とは違う意味で。
長い時間かけて、ひとしきり泣き止むまで、俺はクロちゃんを抱きしめたまま撫でてやって…それからその手をひっぱって立ち上がらせた。
「なあクロちゃん、ちょっと実験してみねえ?」
「なにを…」
「いいからいいから」
有無もいわさずに手を引いて、そのまま礼拝堂に連れて行った。
そこには食堂よりさらにたくさんの薔薇が飾られている。
燭台に明かりを入れると、薔薇は夜の闇から目を覚ましたように、色とりどりに輝いた。
その真ん中にクロちゃんを立たせる。
「よっしゃクロちゃん。どれかいっちばん好きな薔薇を選んでほしいさ?」
「…好きな薔薇…であるか?」
何を意図するのかわからないまま、彼は素直に一つの薔薇を選ぶ。
においの強いダマスク、深紅の薔薇。俺が見込んだ通りの…
「クロちゃん。その薔薇は何色さ?」
「え?薔薇は…赤である」
「じゃあさ。赤は何色?」
意味の分からないクロちゃんがおずおず答える。
「赤…は血の色…とか、炎の色…」
「ぶぶー。不正解。
そりゃあ、赤い色にもいろいろあるさ。林檎も赤いし、夕焼けも赤い。でも、俺が聞いているのは、その薔薇のバラ色の赤。その赤はいつもクロちゃんが見ていた色。見つめていた、愛していた色
気がつくと思う。忘れる訳ないとおもうさ?考えてクロちゃん。思い出だすさ。ゆっくり。ゆっくりでかまわないから」
長い間、じいっと素直に薔薇を見つめていたクロちゃんがはっとした。
「ああ…」
その両目から、涙があふれる。
「ひ、瞳の色である。…エリアーデの」
「ピンポーン。大正解。クロちゃんが今選んだ薔薇の色は、まさにあのネエちゃんの目の色。色や形を細かく正確に覚えられるブックマン後継者の俺が言うんだから、間違いないさ。
これだけある『赤』の中から選んだんだぜ?
ほら大丈夫、心配いらないって。頭が忘れようとしたって心で覚えてる事があるんさ。
俺はさ。
俺は、痛みとか苦しみとかは、傷のようになおっていくもんだと思う。だからちょっとは消えていくのはあたりまえさ。忘れるんじゃねえ。癒されるんさ。
それでも忘れるのが怖ければ、胸の奥の引き出しとかにしまっとけばいい。鍵があれば、いつだってあけられる。
俺がクロちゃんに鍵をやるよ。
その赤い薔薇がクロちゃんの鍵になる。その赤い色を見るたびに、薔薇を見るたびに、クロちゃんは嫌でも思い出す。その瞳の色を。あのネエちゃんの事を。それどころか、薔薇を見るたびに、今もその瞳に見つめられているってことを思い知る。自分がここに立っている理由を思い出す。絶対忘れたりしない。
俺が保証する。
だから、少しづつ引き出しにしまっていいんじゃないかと、俺は思うさ。慌てなくていいし、焦らなくていい。
な?
だからあ、安心して笑って欲しいさ。何より俺ら全員クロちゃんの笑顔が好きなんだぜ」
クロちゃんはただ黙って薔薇を見つめている。俺はその様子を長い事みつめてから立ち上がって伸びをした。
「そろそろ眠くなったさ。俺寝る」
礼拝堂を出る時、ほんの小さな声でクロちゃんが呟いてくれた。
「…ありがとうラビ」
「なあに、何でもないさ。だってクロちゃんは俺の…」
俺の中で俺が呟く。
ラビ忘れるな。自分が何者なのか。
お前は忘れちゃいけないし、引き出しにも入れてもいけない。
自分がここに立っている理由。
俺には鍵は必要ない。必要としてはいけない。
これはブックマンとしての俺の縛め。
それ以上の何でもない。
なんでも…
「おやすみ、クロちゃん」



薔薇は赤…
赤は何色?
赤は血の色
炎の色
愛しい人の瞳の色
自分の生きる理由の色
でも、クロちゃん
いつかもっと心をあけて、いろんな花の色を見てほしいさ。
赤い花の色にもいろいろある。
たとえばアレンの左手や

そうそう
俺の髪の色も、ね。



-ende-