店の名はサイドパス

 

 

店の名はサイドパス。人生が通り過ぎて行く交差点。
店の名はサイドパス。何処か子供のようなバーテンダーがあなたを待っています。

 

「おじさん、一杯頂戴よ」
女が一人、ドアを開けて入ってくる。
「今日は休みじゃ…おう、よく来たなこのロクデナシが!」
初老に差し掛かった主人がからからと笑いながらグラスを用意する。
女はその様子を楽しそうに眺めながら、カウンターのスツールに腰掛ける。
「なぁに、今日は休み?実は年中休みの間違いじゃないのぉ?」
おどけた口調で辛辣なセリフ。
「ばかぬかせ!わしの店は不死身じゃ!」
一度壊れたはずの店。今じゃそれ以上に大きくなっているこの店。
まったく、この主人、バーテンなんかより、経営の方があってるんじゃないのかね?
「じいさん、まだ店に立ってるの?ここまで大きくなったんだし、経営一本でふんぞり返っててもいいんじゃない?」
女はそう言って主人を茶化す。
「…確かに、それも一度は考えたがな、やっぱりわしはこの店が好きなんじゃよ。この店に立っているから、お前らみたいなのにも会えたんじゃし、な」
ロックグラスに琥珀色の液体を注いで女の前に置く。
からん。
透かし彫りの鳥が、グラスの中で羽ばたく。
「今日が休みなのは…あの日だから?」
グラスを透かしながら、女が主人の方を見る。
「そうじゃ。お前らが…お前と、ボルトが、初めてこの店で出会った日だからじゃ」

 
ボルト・クランク。世界一の冒険屋。
最初会ったときは、風采の上がらない男に見えた。
だけど、自分たちの目の前で、笑いながらこの街の『壁』を打ち壊し、消えて行った男。
2度目に会ったときは、もっととんでもなかった。
追っ手に追われていたせいで、気がつけば店はほぼ全壊。
それでも、この主人は笑っていた。

 
「あの男、どうしているのかしらね」
「さあ、な。お前さんこそ、今は何をしている…いや、聞かんよ。聞いてどうなるものでもあるまい」
「やめたわ。全部」
「ほ?というと、詐欺師は廃業したのか?」
「うん。普通に生活して、普通に暮らしてる。…平凡だけど、悪くないわ」
主人は寂しげに笑いながら、空になったグラスに酒を注ぐ。
「そうか…」
しばらくの沈黙。
口を開くのは、主人が最初。
「だったら、お前さんはもうこの店に来ない方がいい。ここは、普通の女の人生にはそぐわない店じゃ」
女が、悲しげに笑う。
「そうね。でも…懐かしかったのよ。それに、今日は…」
「わかっとる。今日は、特別じゃ。…さてと、堅気になったというなら、祝いの酒かのう。それとも、詐欺師への弔いの酒にするか?」
「…ふふ、どっちでも同じ事よ」
「そうじゃな」
主人はステンレスの使いこまれたシェーカーを出してくる。
「ついでじゃ。わしのカクテルも飲んでいけ。お前さんはいつもストレートばかりじゃったからな、たまにはわしの腕前も見ていくがいい」

 
アイスピックで氷を砕き、シェーカーの中に入れる。
「魂というシェーカーに、時間と言う氷を入れて」
魔法のような手付きで酒を注いでいく。
「幸福と言う酒に、不幸と言う酒を混ぜ」
蓋を閉め、シェーカーを振る。ダイナミックに、しかし、繊細に。
手のひらをシェーカーにつけないように、気をつけて。
「運命がそれをシェイクする」
シェーカーに手のひらがつくと、その温度で氷が溶けてカクテルは水っぽくなる。だから、出来るだけ、手のひらをつけないように、慎重に。
「人間というグラスにこれを注ぐ…これが、人生と言う名のカクテルじゃ」
カクテルグラスに注ぐ液体は、計ったかのようにきっちりとふちで止まる。
やさしい、綺麗な色のカクテル。

 
「びっくりした…じいさん、バーテンみたいな事も出来るんだ」
「わしゃあもとからバーテンじゃ!」
「冗談よ…じゃあ、いただくわ」
一口、口に含むと、甘い香りが広がって行く。そして、奥底に残る苦さが、それを引き立てる。
「おいしい…これ、なんて名前なの?」
「さあな」

主人は軽く肩をすくめる。
「さあなって…名前はないの?」
「それはわしのオリジナルじゃ。そうじゃな…名前をつけるとすれば、サイドパス。かのう」
「この店の名前ね」
「そうじゃ。サイドパス。いくつもの人生がふらりと立ち寄る場所。いくつもの人生が過ぎ去る場所。それが、これの名前じゃ」
「いい…名前だわ」

 
そしてサイドパスの一夜は更けていく。
主人と、女と、一人の冒険屋の、一つの思い出の夜が。

 

 
ここはサイドパス。人生がふらり立ち寄る場所。
ここはサイドパス。人生が過ぎ去って行く場所。
ここはサイドパス…あなたも、一度、来て見ませんか。

 

 

END

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