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夕暮れ。
 
じっと耳を傾ける。プチプチ・・・命の目覚める音と甘い匂い。それから鉄の匂い。油の匂い
 ふ・・・ヤツラのにおいもする。
 性懲りもなくまたあらわれた、か。
 無駄な殺しはやらない。
 だが仕事は仕事だ。
 ふわりと蜜色のやわらかな後髪を風にはらませて躊躇なく立ち上がる。
 足音も立てずに、鉄のブリッジの上をわたりながら、右手から使いなれた武器を出す。
 ヤツらがきづいたときには、もう遅い。
 血の匂い。
 きらいじゃない。
 依頼人にわかるように、さっさと侵入者の死体を蹴りおとし、ふたたびボイラーの脇に座り込む。
 『ヒュ〜。仕事熱心だな。さすがに「世界一」だ』
 そろそろ仕事を終える頃の職人たちが、感銘の声を立てる。
 『おかげで、安心して仕事ができるってもんだ』
 『どうだい、ちょっと休まないか?うまいシチューがあるだぜ?』
 ・・・わるいね。あんたたちとはメシがあわない。

窪地にしつらえた、たき火の中の生木がバチバチとはぜ、火の粉を巻上げていた・・
『ボルト♪、ボルト♪、ボ〜ルト!!』
「・・・おりろ」
おもしろそうな紐がついた手袋が、頭の上の小猫をだきかかえようとする。
『やあだ。ここがいいの』
小猫は身体をよじり、四肢のさきの小さな爪をガッシリととりだして、緑の帽子に固定した。しかし、むろん力でかなうはずはない。
ムシッ
『いにゃあ』
頭のてっぺんから、強引に彼女をひきはがした右手には、鍔なしの帽子もひっついてきた。蜜色の長い髪が、北風におどらされる・・・。
ペリペリペリ・・・
ボルトは無表情に、丁寧に、小猫の爪から帽子をひっぺがし、小猫を地面におろす。だが、帽子をかぶり直すあいだに、小猫は分厚いコートを垂直にのぼってふたたび頭の上。こんなことが何度も繰り返されていた。
「・・・もういい、すきにしろ」
とうとうボルトは軽くため息をついて、猫を降ろす努力をやめ、そのままゆっくりと青草の上に仰向けになった。小猫の身体もぐんぐん傾く。
『わあああい』
ジェットコースターきぶんで、帽子にしがみつく。だが、あっというまにそれはおしまい。緑色の遊園地は、しずかに寝息をたて始めた。
『ねえねえ、今日はここにねるの?』
返事なし。
小猫は、自主的に頭から降りた。斜光式丸眼鏡の下の長い睫をのぞきこんだ。
ほんとうに眠っているみたいだ。
『ちぇ〜〜。』
しかたない。
小猫は、ボルトの首筋と髪の間に陣取って、寝心地を良くするためにくるんと回転した。と、そのとき茂みになにかが動くのがみえた。彼女の眼がまんまるになる。
『にゃ?』
よく眼をこらす。なにかが動いている。コソ・・・音もする。
彼女は、慎重に地面をすりながら、茂みに近づいた。
チョロリ・・・銀色に輝く紐のようなもの。
『とかげさんだ!まて。』
むろん、まて!といって、まつものではないから小さなトカゲはあわてて岩のすき間に滑り込んだ。すき間がせまくて、爪も入らない。トカゲはすき間をぬって、どんどん逃げていく。ときおりチロリと、銀の尻尾がはみ出て見える。おさえようとすると、ちゅるっとひっこむ。
たのしいたのしい〜〜。
『まて〜まってってば』
と、
たき火から、かなり離れたところでいきなりあたりが暗くなった。ざっとはばたく音がしたかと思うと鋭い指が、小猫の身体を急に締め付け、空中につり上げた。
『にゃ?』
みるみる地面が遠くなっていく。大きなみみずくだ!
『にゃああ。はなせ〜〜〜!!』
だがすぐさま、バサリとさらにおおきなものが、おおいかぶさった。みみずくはばさばさと翼をひろげたが、空しく空をきるだけで、その身体はがっちりと黒い手袋につかまれていた。白いみみずくは眼をきょときょとさせている。冒険屋は、そのするどい足から、慎重に小猫をひきはがし、みみずくを空へ放り投げた。
「すまないが、晩飯はほかでさがしてくれ」
それから小猫の首ったまをつまみあげると、怪我が無いかどうか慎重にまさぐった。
小猫はゴロゴロと喉をならした。
『くふふふ。くすぐったいよう。ボルト』
「あまり遠くへ行くな」
すこし怒ったようにボルトはつぶやき、ふたたびたき火の前にすわって、小猫を膝に乗せた。
『だって、トカゲさんをとろうとおもったの』
「はらがへったのか?」
『ううん。トカゲは食べないの。遊ぶだけ』
ボルト・クランクはしばらく押し黙っていたが、また横になり、小猫をコートと上着の間にすべりこませ、ぼそりとつぶやいた。
「むだな殺しはするな」
『え?なあに?ボルト?』
小猫はコートの下からはいでて、じっとボルト・クランクをみつめた。
はやくも寝息。
彼女は分厚い胸の上をそっと渡り、冒険屋の整った顔の上にのった。ボルトは眼をさまさない。
『ボルト、だあああいすき〜〜』
彼女は、ボルトの鼻のあたまをチロリと嘗め、それから無反射斜光式丸眼鏡の上に丸まって、眼をつぶった。

 ぬくぬくぬく・・・
 ジャラジャラジャラ・・・ネジの上
 おっきなおっきなポケットの中。
 おニイチャマのよろいの中と同じ匂い。『テツ』のにおい
 わたしのよこにあるのはおっきな手
 これはボルトの手。ちょっとふしぎな匂い。いろんな匂い。でもいい匂い。
 あったかいよう。ふくふくふく・・・。

「マッキノン卿に用がある」
名を告げた冒険屋は、眼通りをゆるされ、奥へ進んだ。ハイランド王に反旗を翻した北の貴族たちにあって、この地の領主マッキノンだけが王への忠誠をつらぬき、苦しい戦を続けていた、とはいえ荘園は領地の奥にあり、戦の影は届かない。その庭園は静かでおだやかな風情をみせていた。色とりどりの小鳥があちこちで、うつくしいさえずり聴かせている。
静かだ。
歩みを進めていたボルトは庭の真ん中で、ふとたちどまった。そして、ポケットに手をいれると、そっと、眠っている小猫を取り出して芝生においた。
『ふに?』
「あそんでこい」ボルトはつぶやいた「用がすむまで」
小猫はすぐに小鳥の鳴き声を聞きつけ、ゴムまりのように走り始めた。
『小鳥さんだ!わああい、チクチク葉っぱだ〜〜』
ボルトは、しばらくその姿をおっていたが、きゅっと唇を結ぶと、館の大門を潜った。剛健な石作りの通路をぬけると、広間がある。そもそもボルト・クランクが仕事=国王逃亡のガードを依頼された場所だ。
本当に静かだった。
「ご苦労でしたボルト・クランク殿」
声変わりもすまぬ若者の声がひびき、座のうしろから、少女とみまごうほどにきゃしゃな小姓が姿を現わした。
「主にかわって礼を申します」
「マッキノンはどうした?」
ボルトが低くつぶやくと小姓の顔が曇った
「先の攻防で、深手をおわれ、奥の院にて治療をいたしております。ここ数日が峠であろうと、医師どのはもうされおる。じつは、うわごとのように陛下の安否を尋ねておられるのです。このようなときに貴方の生還は吉報だ。・・・それで国王は無事に?」
「ああ」
「さようか!主にはその知らせがなによりの薬!!今ごろはいずこにあらせられるであろうか?」
ボルトはじっと少年を見つめていたが、これには答えず、つぶやいた。
「報酬は?」
「え?ああ、そうでした。ただいま用意させましょう」
その言葉に反応して、冒険屋は薄く笑った。小姓はさらに愛想よく懇願した。
「それよりボルト・クランク殿。はやく王の様子をお伝え願えぬか?」
冒険屋はくるりと後をむいた。スタスタと出口に向かう。
「な、・・・いかがなされたボルト殿」
「依頼人以外につたえるわけにはいかない、ましてお前たちには」
その直後、美しい少年の顔が残虐に歪んだ「ならば・・・無理にでもお訪ねいたそう!」
少年の声を合図に、八方の物陰から銃撃の嵐がふりそそいだ!


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