フリージア。
ダマスクスローズ。
カルダモン。
肉食獣の汗腺。
それとも錫か、銀?
いや、むしろ鉄のほうがふさわしい。

ステアした新鮮な王水に浸す。とすべては泡となり、溶けて消えていく。
適度の温度で煮つめ、蒸留して、アルコールを通す。
琥珀色の液体。慎重に混合し、数種類の薬草を浸す。このまま数時間。
ママにおそわったやりかた。
まるで魂のように。
見えず、きこえず、さわることのできないものを手にする方法、
ここでいつも思う。
すべては無駄な努力かもしれない。
でも
もしかしたら

 

 

『Fragrant Fragment-未完の夢- 』 EAT-MAN iv 乃川りべっと

 

サーチライト。
狂暴な犬たちと火炎放射器を抱えた城の衛兵が通路を走り抜けていく。
番人のからくり人形が、侵入者をみつけようと赤い目玉を光らせている。
以前よりひときわ警護がかたくなっている。
「そこを右!」「階段を登って!」
柱の陰にひそんだ冒険屋は、あたしを軽々と抱えたまま、疾風のように中庭を走り抜けた。サーチライトの網を見事にくぐりぬける。冒険屋の移動する速度は少しもゆるまず、息もきらさない。
「もっと上!もっと上!左の扉を抜けて!一番上までのぼったら右!」
冒険屋は、あたしの支持通りに移動しながら、コートを翻して重い扉を何度も蹴りやぶる。
気が遠くなるほど階段をかけ上がった末に、ひときわ頑丈で 最後の扉の前が、目前に迫る。
冒険屋は、どこに隠しもっていたのか、手榴弾で最後の扉を吹き飛ばし、躊躇なく奥へ滑り込んだ。
最上階。
窓ひとつない暗やみ。
でも、あたしの眼にはよくみえる。
廃棄された武器やなんのための道具かわからない機械やガラクタの山。
あたしは冒険屋の腕をすり抜けると、ダッシュで壁のパネルに手を延ばした。
ギゴガガガ!という錆び付いた悲鳴をあげて、断頭台のようにシャッターが落ち、階下への扉がふさがった。それからクンという音とともに、すべての機械類が目覚め、幽かな明りが灯る。
莫大な資料と薬瓶、植物や鉱物サンプルの棚。埃と黴に覆われてはいるが、城の連中に荒された様子はほとんどない。
おおいそぎで周囲を見渡し、鼓動を抑えながら、奥へと走る。
そこにはそれに壊れかけた銀色のたまご型の飛空艇が横たわっていた。
涙がでそうになる。でも、あわてて袖でぬぐって、たまごのハッチを開き、中へすべりこむとコンパートボックスをロックを解除。
指で一枚のホログラムを取り出す。
-幸せそうな若い女の笑顔。長い美しい銀の髪。しなやかな肩、そして獣の瞳。
「…ママ」
あたしは しばし見入ったあと、ホログラムを懐にいれ、たまごの外にでた。
「早くしなきゃ、城のやつらに気が付かれる前に」
「どのくらいだ」
「半日、んん。6時間もあればなんとか薬を精製できる」
6時間ーそのころには夜があけるだろう。あたしの苦手な眩しい光が満ちる頃。
だが、仮に薬が出来たとして、ここをぬけられるだろうか?
『奴』があたしを逃がすだろうか?
いや。
むしろあたしがおとりになればあの冒険屋が薬をー
その間に何人死ぬだろう。
刹那、村の連中の顔が一人一人眼に浮かぶ。すぐさまブルっと頭をふる。余計な事は考えまい。あたしは肩にかけた道具いれを冒険屋にほうり投げ、薬棚の物色を始めた。
「アナログな国には場違いな設備だな。ここは、なんだ?」
冒険屋が、ベッドにドサリとすわって尋ねた。
「魔女の塔。本当は研究室兼牢屋。あたしはここで産まれたの」
あたしは手を休めずに言った。
「あたしのママは別の世界から来たの」
『カリッ』
冒険屋はなんの感銘もないと言う様子でネジをかんだ。
男の白い歯に当たった瞬間、くわえた金属が砂糖菓子のようにかみ砕かれて喉の奥へと消えていく。
睨み合ったままの奇妙な食事風景。
「…それってなにかのまじない?」
「腹が減っててね」
「あんたってそんなものばっか喰うの?」
媒体になる微生物たちの繁殖準備をしながら、あたしは声をかけた。
「じゃあ、適当にやっていいよ。そのへんにあるものはなんでもどうぞ」
蒸留器や壊れた実験機具、作りかけの機械、鉱物…。
男はひとつひとつを興味深そうにとりあげながら、笑っちゃうぐらい大きな口をあけて、はぐはぐと食べ始めた。ゼンマイ、エンジン。歯車、えたいの知れないスラッグ。古い薬瓶…。
「あ!それは食べないほうがいい。いくらあんたでも身体に悪ー」
ひときわおおきな薬瓶を取り上げた冒険屋がふと手をとめる。古ぼけたラベルの張られた透明なガラスの大ビンには丁寧に封印もしてあった。
「骨董だな。中味はなんだ…Regi-?」
「Aqua Regia『王水』だよ。…ガラス以外はなんでもとけちゃう水さ。ママのだと思う」
冒険屋はちょっと笑うとあっさりと瓶の口を噛り、それから中味をゴクゴクと飲み干した。まるで強い酒をあおったかのように『…ふう!』と息を吐く。
そして「なるほど」と小さくつぶやいた。
それから何事もなかったように残りのガラスを喰い、さらに他の瓶に手を延ばす。
「驚いた、凄い食欲だね。あんたって人間?」
「ああ」
「そうなんだ。…いいね、はっきり言えて」
「あんたは違うのか?」
ひどく真面目な低い声。どこかズレた質問に、あたしは油断して笑いそうになったが、思い直してフードを深くかぶった。蒸留水を点滴する。
「あたしは…わからない。ママの眼も金色だった。きれいなで緑色の三日月が浮かんでて」
冒険屋がこちらを見つめた。ガラクタはもう半分近くに減っていた。
「 ママはさあ。なんかの調査でここにきて、事故で帰れなくなったって。空の向こうにあるずっと遠い世界。捕まって幽閉されて。戦争のための毒薬とか武器をつくらせられていたみたい。あたしが10さいのときに二人で逃げて。逃げて逃げて。最後にあの村の連中が沼の洞窟に匿ってくれた。洞窟は暖かくて暗くて。村の人はあんがい親切で。いつも花が満開で。あたしたちは薔薇水なんかを売ってくらしてきた。…そのママも2年前に病気でしんじゃったけど。…ここにいれば、たぶん薬も作れたんだけどね、馬鹿だよね」
あたしは 無理に笑った。それから、なみだが出そうになった。
冒険屋はちょっと頚をかたむけ、話をじっと聞いている。
「こいつが直ったら、元の世界へいってみたいか?」 冒険屋は、銀色の飛空艇をしめした。
あたしは手を少し休めてつぶやいた。
「直らないよ。ママも直せなかった。エンジンキーもママがどこかに始末してしまった。悪用されたら困るからさ」
「なるほど」
冒険屋はかすかに笑ったかとおもうと、静かに銀のたまごに喰らいついた。

 

 

ステアした新鮮な王水に浸す。とすべては泡となり、溶けて消えていく。
適度の温度で煮つめ、蒸留して、アルコールを通す。
琥珀色の液体。慎重に混合し、数種類の薬草を浸す。このまま数時間。
ママにおそわったやりかた。
まるで魂のように。
見えず、きこえず、さわることのできないものを手にする方法、
ここでいつも思う。
すべては無駄な努力かもしれない。
でももしかしたら…
ビョオオオ。 かすかに風がふるえる音が聞こえる。
「夜明けだ」
遮光式眼鏡をかけた冒険屋はふいにつぶやいた。
静かだ。
静かすぎる。
あたしはふと不安にかられ、できたての薬をいそいで肩に背負うた。
同じく、猫のように気配をさぐっていた 冒険屋がポケットから手を出し、歩き始めた。
そのまま壁から壁へ、部屋の中央をよこぎるようにゆっくり移動すると、だらりとさげていた右手で眼鏡を押上げた。
「くるぞ」ひくく、落ち着いたささやき。
『え?』と聞き返す間もなく、
ドン!
と鈍い音がして通路のシャッターが吹き飛んだとおもうとバラバラと衛兵が踊込んだ。
ものすごい数!あたしの姿を捕えると一人がさけんだ
「いたぞ!魔女だ!」
『魔女だ』『魔女だ!』津波のように怒号が広がる
冒険屋は私をかっさらうと、振り向きざまに腕を上げた。
ビュオオオオルッ
右手が水膨れのようにもりあがると、鋭い黒い物体が、芋蠱の腹を喰い破る地臥蜂の成虫のように、彼の手の甲を突き破り出た。そのまま腕までが飲み込まれたかとおもうと、一瞬にして分離し、冒険屋の右手の中で機銃になった。
ががががががががっ
冒険屋の威嚇射撃に衛兵の群れが一瞬ひるむ、が、すぐに装甲兵が前になり、じりじりと押してきた。
部屋を二分してにらみ合った時ー
「とうとう帰ってきたのだね」
背後から笑い声がした。衛兵の群れが割れてひざまづく。
と一際豪華な装備をしたこの城の主が現われた。
「おまえがいなくてこの国はどれだけ苦戦をしいられたことか」
冒険屋はあたしをかかえ、銃をかまえたまま、一方の壁に陣取った。
「長いことお前を探した、しらみつぶしに噂をたどった。だが、お前を見つけることはできなかった。それで、考えた。見つからないのはお前を護るやつがいるからだ。ではそれを取り除けばよい」国王はくっくと笑った。
「わかっているとも、解毒剤はここでしか作れなかったのだろう?そうだろう。あの毒は特別だから。そうだろうとも。あの毒はお前の『毒』だからな」
あたしはふるえながら、冒険屋の腕をすりぬけ、銃を背にゆっくり立ってさけんだ。「やっぱりあんたが。みんなに毒を!」
「国益に反抗するものは死刑でもかまわん。だが…地域が限定仕切れなかったのだ。それで貯水池につかわせてもらった。残り少ない貴重品だったが、お前がもどってくれるなら惜しくない」
『カリッ』
背後で優雅にねじをかむ音。
はっとする、村の皆の顔。
冷静にならなければ。
とにかく薬を。
『ボルト』
あたしは、薬のバックを床におくと音にならないほどちいさな声でつぶやいた
『絶対に。必ず薬をとどけてくれる?』
「ああ、おまえもだ」
背中で、冒険屋が飄々と言った。
深呼吸して、前に進む。
国王が歓喜の表情で両腕を広げた。
「帰ってきたんじゃないよ。解毒薬を作りにきたんだ。村のみんなが苦しんでるから。それに」
あたしは、ゆっくりとフードをぬいだ。国王の眼がおおきく開く。
「ママは帰ってこないよ。ママは死んだの。パパ」
ざわ、と兵たちがどよめいた。
「あれが死んだ?あれがもう帰ってこないだと?そんな馬鹿な、そんな」
王の眼が不安そうにおよいだ。
「だが、そうだ。お前がいる。そうだろう?」
あたしは後ろに下がった。
「あたしは『人間』だから、パパの役にはたたない」
「捕えろ!」
ダダッッッダッダッダッッダ。
ボルトが、国王の足元に威嚇射撃をした。思わずひいた王の足元で、銃痕の穿たれた床から白煙があがり、酸のきつい匂いが満ちたかとおもうと、白煙は床の上を蛇のように這い、部屋の壁から壁までを横切った。
ギシ…ギ、ゴ。ゴゴゴゴオ
ふいに部屋の向こう半分が地滑りはじめ、パパと兵隊たちの悲鳴をのせたまま切り取られたバターのように地表にむかって落下し始めた。
眩しい朝日と大きな空が、目前に出現し、眩しさに眼が痛む。眼を細めて空を見た瞬間思い出した。さっきボルトが壁から壁まで…歩いた場所。
「たしかに『なんでも溶ける』」
ボルトはつぶやくと、あたしと薬をひっつかんで、その大空へダイビングした。
どこもかしこも眩しい光!!
ドクン。じゅる!
一瞬に、飛空艇の銀色の殻があたしたちを包みこみ、気が付いた時にはボルトが操縦管を握っていた。キラキラしたエンジンキーがパネルに飲み込まれると、身体に急加速がかかる。
「朝めしまでには村につく」
ボルトが愉快そうにつぶやいた。

 

中庭でがれきに埋もれながら、城の主は空を見上げた。
銀の船が信じられない速度で空を切り裂いていく。
「陛下!早急に追跡隊を構成しますゆえ」
「もういい。もう、二度と捕えることはできまい」
国王はうつろに言った。
「魔女はもとの世界へ帰ってしまった」

 

エピローグ

 

薬をみんなに渡して沼地にもどると、風のなかで冒険屋のコートの裾がゆれていた。
ボルトの手には、古い王水のガラス瓶がのっていた。
空っぽのそのなかでエンジンキーがキラキラと光っている。あたしは瓶のラベルをなぞった。
「ほんとうになんでも溶けるよね」
冒険屋がかつての質問を繰り返す。
「元の世界にもどりたいか?」
あたしはフードを脱いで、この世界を眺めた。

この世界は眩しい。
まぶしいね。
この世界はあたしには眩しすぎる。

でもーそれも悪くない
「さっきいったでしょう、あたしは魔女じゃない。村の連中とおなじ。あんたとおなじ」
手にとったガラス瓶を、思いっきり投げた。
瓶はキラキラしながら、沼に沈んでいった。
あたしはボルトを見上げた。丸い遮光式眼鏡にあたしの姿がうつってる。
ふと、尋ねて見ようとおもった。
「あんたってさ。どうしていつもそんなイカレた遮光眼鏡してるの?」
ボルトはかすかに笑った
「どうしてかな」
それから歩き始める。
背中がどんどん小さくなっていく。
冒険屋にもう会うことはないだろう。

 

ステアした新鮮な王水に浸す。とすべては泡となり、溶けて消えていく。
適度の温度で煮つめ、蒸留して、アルコールを通す。
見えず、きこえず、さわることのできないものを手にする方法、
まるで魂のように。
すべては無駄な努力かもしれない。
それでも

振り向き様にほんのすこしだけ見えたあの瞳の色を。
あたしは
たぶん忘れない。

         ENDE