海・・・
黄金の日差しが水際ぎりぎりまでつみあげられた灰色の城壁の上を
キラキラとおどる。
真っ青なアドリアの海。
水平のさきには、美しく白い教会のそそり立った小島が見える。
そして、その対岸には、花で飾られた墓地だけの島・・・
夢の街=ベネティア。
光と水の都と呼ばれた街。
かつて戦争で追い詰められた商人たちが、わずかな浅瀬にレンガをつみ、奇蹟の様に作り上げた街。
醜悪を追放し、美しさを究めた街 。

だが-

「栄耀栄華も、誇り高い歴史も、おそかれはやかれ水泡に帰すのだ。
人間の力など無意味なものだ」
船着き場の待合に座ったまま、仕立ての良いイタリア製のスーツをきた老人がいった。
待合に、もはや人の姿はほとんどない。
砂州の上に600年も前に積み上げられた人工の島には、いまや人の気配は皆無といってよかった。
砂の城が流されるように『いつかは沈む』と伝えつづけられた街が、その瞬間を迎えることになった。
それだけのことだけなのだ。

混乱はなく、住人たちは、地殻変動による土台の崩壊を捕えた政府の警告にしたがって、
2日ほど前から移住を開始していた。
のこっているものは直前まで自治に携わるごく少数と、なんらかの事情でこれから移動するもの、
それから・・・おそらくは移住を拒否したもののみ。

老人は、わずかな苦味をのせて吐き出した。

「世の中に永遠なものなんてない。とはいえ故郷がなくなってしまうのは、
いい気分ではない。ましてや、美しい高額なベネチアングラスたちは、
ほとんど残されまま・・・あとわずか2時間だ。」
こころなしか、潮が高くなってきたようだ。
「世界一の冒険屋と呼ばれるあなたなら、それらを『無事』に運べると聞いた。
天文学的な額の価値のものばかりだ。見返りならいくらでも支払う、
ひきうけてもらえないかだろうか?」
暖かい海風が、もうすっかり春を歌い上げているというのに、
老人のすぐ横に立って海を見ていた大男は分厚い緑色のコートの襟を立てていた。
蜜色の長い髪が、潮風に微かに揺れる。
端正な面差しからは、なんの感情もよみとれそうにない。
彼は輝くような鳶色の瞳をかくすかのように、
古めかしい斜光式丸眼鏡を指で押し上げると、ポケットからネジを1本とりだし
『カリッ』と噛みしだき、 なんの感慨もなさそうにつぶやいた。
「荷物運びなら・・・運送屋に頼め」

冒険の報酬(Feeder's Fee) -EAT-MAN iv-乃川りべっと

「もしかして・・・失礼ですが・・・?!」
女がにこやかに近づいてきた。
コートの男は振り返り、声の主を瞬時観察する。
87.57.92といったところだろうか。
ブルネットの髪をきれいに結い上げ、真っ青なシャネルスーツを着て、
ワーキングシューズを履いている。足のきれいな、すこぶるつきの美人だ。
「あなた、もしかして冒険屋の・・・、ああ、やっぱりそうだわ」
すこぶるつきが、うっとりするような笑顔を見せた。
「いきなり御声をおかけしてもうしわけありません。
私、市会議室秘書をやっておりますクラレッサともうします。
貴方のことはジャーナル雑誌でお姿を拝見したことがありましたの」
冒険屋は、もう一度女の顔から下半身までを眺めなおしたが、
すぐに視線を海の方向へもどした。
女は、旧友にでも話しかけるように、屈託のないようすで、
緑色のコートの隣に腰を降ろして、彼をみつめた。
船着き場に、本土からの撤収船が入ってきた。
それまで、姿を見せなかった残りの市民が、一人、また一人とのりこんでいく。
いずれも、自分の船をもちえない程度の生活者とみえて、荷物もあまりおおくない。
「あんたも、のるんじゃないのか?」
男の問いかけに、クラレッサは誇らしげに答えた。
「市の職員は、最後に別のボートがでますの。必要はありませんわ。
それより、街の中はご覧になりました?美しい街でしょう?」
彼はそれには答えず、もう一本ネジをくわえると。指で押し込むようにして、
かみしめた。
『カリ。ポリポリ』
クラレッサはその様子をながめ、瞬間に喚起の笑顔を浮かべると一人ごちた。
「すごい!すごいわ。やはり、噂はほんとうなんですのね?
本当にネジをめしあがりますのねえ。これなら本当に可能かも知れない、
いえぜったい大丈夫ですわ。でも、・・・こんな時にこんなところにおいでだなんて・・・
やはり、これからお仕事ですの?」
「いや・・・帰り道だ」
彼女の顔がパっと輝く。
「では、今はフリーということですわね。この瀬戸際にあなたにお会い出来たなんて!
本当に神の御導きですわ!御仕事を!依頼してもよろしいかしら!!」
「仕事?」
「ええ!!街を食べてほしいんですの」
一瞬、冒険屋は彼女を凝視した。
ポリ・・・ごくん。
「街を?」
「ええ!この街は街そのものが美術館といっても過言ではありません」
柱や、壁がそのまま彫刻や、美術品なのだと、市会議室秘書は熱をもって語った。
動かすことが出来ないまま・・・あと1時間後には水没してしまう。
そのことがいかに人類の損失になるかも・・・
「全部-でなくていいの。主要な建造物だけ。」
冒険屋の口元が、かすかにゆがんだ。笑っているのかもしれない。
「全部、でなくて、いいのか?」
「ええ、もちろん。・・・できますか?」
「どうかな。・・・だが、報酬は?」
「報酬?」
彼女は困惑したように、両手をふりあげた
「だって!あなた世界的な遺産を守った英雄になれるんですのよ?
この・・・この国の名誉市民にも!あとからいくらだって謝礼がはいってくるし!
もちろん・・・私から国に請求することも-」
「・・・わるいが・・・遠慮しよう」
彼は、顔をあげると、小さく喉をならし、げっぷをした。
「あまり胃の調子が良くないんでね」

船員が叫んでいる。
「最終便だ!のりおくれるな。沈没まであと30分だ!」
声に反応する人影も、もはやほとんど無い。
街からはすっかり活気が消え、真昼だというのに風の音ばかりが耳にひびいた。
船着き場を洗う波はすでに石畳にあふれるほどに高くなってきている。
いいや違った。
正確には地面が沈みはじめているのだ。
冒険屋は-まだ動かなかった。何かを待っているかのように。
何を?人を?
あるいは崩壊の瞬間を-?
「おじちゃん。船にのらないの」
ふいに小さな声が彼を捕えた。
水平線ばかりをみつめていた冒険屋が、おどろいて足元を見ると・・・
6つぐらいの、あまり裕福ともおもえない少年が、彼のコートをつかんで見上げている・・・。
「あれが最後の船だよ。出発までもう少しあるけど、
今のうちに乗っておいたほうがいいよ。おじちゃんおっきいから、
後からのりきれなかったらこまるでしょ?」
「そうだな」
冒険屋は素直にうなずいた。
「おまえは?乗らないのか?」
少年はすこし眉をしかめながらかぶりを振った
「乗るさ。でも、まだおばあちゃんがこないから、ここで、まってるんだ。パパが迎えにいってる。おばあちゃんはどこにもいきたくないって、だだこねてるんだ。
でももうすぐ来るよ。僕が船に乗らずに立っていれば、船は少しは待ってくれるでしょう」   
長身の冒険屋は背中を少しまるめて微かにわらい「そりゃ、いい考えだ」といった。
少年は、真顔で男を見つめた。
「おじちゃんは冒険屋なの?」
「そうだ」
「世界一の冒険屋で、いまは帰り道で、フリーで、仕事が頼めるんだよね?
僕ずっとあすこのベンチにいたから、知ってるんだ」
少年は神妙な顔で「そうでしょう?」と念をおした。
「ねえ・・・僕でも仕事を頼める?」
「仕事の内容にもよるがな」
冒険屋は良くひびく声で、やさしくつぶやいた。
少年はパっと顔を輝かせると、100メートルほど駆け出し、倉庫の上の雨樋をゆびさした。
「あれがみえる?あそこの白い塊!」
ゆっくりと男は歩き、少年のかたわらにたって見上げた。
「・・・鳥の巣だ」
「そうなの。僕のハトなんだ。フィオリーナっていうんだ。毎日学校の帰りにパンのかけらをやってるんだけど。卵をかかえてるんだ」
ボルトは新しいネジをくわえながら、少年と鳥の巣を交互に見た。
「ハトは利口だから、ほかのはみんな飛んでいっちまったのに、|
フィオリーナは逃げないんだ。ぼく、たすけてやろうとおもったけど。
巣がたかすぎて・・・』
少年はごそごそとポケットをさぐり、ちっぽけな500銀貨を一枚そっと取り出した。
「お金はこれしかもってないけど・・・
去年のクリスマスにおばあちゃんがプレゼントにくれたんだ。使わずにとっておいたの。
フォリーナと卵を助けてやって。これで足りなかったら・・・僕大きくなってから働いて返す。
約束するよ!」
冒険屋はヒョイと銀貨をつまみあげ「これで、充分だ」とつぶやいた。
少年を呼ぶ声がした。
父親と祖母らしき老女が、わずかばかりの荷物をもって、船の口に手を振っている。
「先にいけ」と男は言った「大丈夫だ。俺は仕事をかたずける」

すたすたすた・・・

そうして冒険屋は、倉庫のかげに姿を消した。
少年は、後を追うべきかと、一瞬躊躇したが、再度父親の声を聴いて走りだした。
『出航するぞ〜〜』船員が叫んでいた
『乗り遅れるな!!沈没まであと10分だ』

だが・・・

半日たっても、2日たっても・・・
街が水に没する事はなかった。

3日め・・・
政府の調査隊が、ヘリコプターで上空から訪れ、奇妙なものを発見した。
街のほぼ中心に当たる広場に、おそろしく巨大な柱がつきささっていた。
それは、最新兵器から一般の電化製品まで、
やみくもに金属片をこね集めたようなシロモノで、石畳を貫き、砂州の不安定な地層を穿ち、海底の岩盤にまで達していることが、後に判明した。
夢の街を巨大な金属のモニュメントが固定し、水没をくいとめたのだ。
美しい死せる蝶の羽を固定するピンのように。
そして1週間後・・・
政府は安全宣言を発し、人々が『街の中』に戻り始めた。
船のあるものも、そうでないものも。
仕立ての良いスーツを着た老人も、足のきれいな秘書も、おばあちゃんの手を引いた少年も・・・。

その喧騒の船着き場を『街の外』へ向かう船に、緑色のコートを着た男が一人。
もう春だというのにコートの襟を立て、
まだ春だというのに斜光式丸眼鏡を深く指で押し上げると、
ポケットの中から、小さな銀貨を取り出した。陽にかざし、口の中にほうりこむと・・・そして、独特のやり方でニイとわらう。

『カリ・・・こくん』

彼の名前はボルト・クランク。

世界一の冒険屋だ。

フィオリーナの巣では
その7日後に2羽の白いひなが生まれた・・・。

                            <ende>


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