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<心拍62/1表面温度36.2代謝率低下中>

夕闇。冒険屋は缶詰をつぶしたような、不格好な簡易軍用シェルターを『取り出し』て、削りとったような鋭い崖の下に設営した。シェルターらしく窓はない。簡素なベッドが一つだけ。だが、凍てついた外気を防げれば今は充分だ。
ボルトはイリーナをようやく肩から下ろしてベッドに座らせると、対面の壁に座り込んだ 。
傷口はまだふさがらないらしく、すでに床に血だまりができている。
「ごめんなさい」 イリーナは、かすかに唇を震わせかすれた声でいった。
「武器が底をついた、そうでしょう?私がバカなマネをしたから」
ボルトは何も喋らない.
イリーナはベッドの下の備品の粗末な救急用具から、消毒薬とガーゼを取り出すと、だまってボルトの傷の手当をし始めた。
小さなエアクリーナーが作動する音だけが妙にひびいている。
イリーナは、深く息を吸いこみ、目をつぶった。
「・・・ボルト、あなたのパパとママは、どんな人?」
一瞬の沈黙ののち、ボルトはきっぱりと「いない」と言った。
かすかにシェルターの中に風が吹いた。
いや、気のせいかもしれない。
「そう・・・奇遇ね、私もよ。・・・私は『プライアー』の一員。しってるでしょ?この国の誉高い天才集団のね。実態は優勢遺伝子繁殖の結晶。つまり特別仕立ての試験管ベビーたちってところね。パパもママもない選ばれた精子と卵子の結合体。国のために作られて、遺伝子の素養のまま科学開発の才能を発揮したわ。全て国の計画どおり。私が女性であることさえも計画どおり。男子より生存率が高いから、それだけ。そして私の死亡推定年齢は81才。それまでは、国のためにひたすら利益を生み続ける。私が国家に貢献する利益予定は約1872200000リド 」
イリーナは自嘲ぎみに微笑んだ。
「・・・全て決められた道から一瞬でも逃れる事が出来るなら、死んでもいいとおもってた・・・」
ボルトは笑った「心中相手に冒険屋を選ぶとは、変わってる」
「私を連れ出せるなら、どんな人でも構わなかったわ。冒険屋なんて、危なくなったら、すぐに自分だけ逃げるんだとおもってたし・・・だれでもよかったの。でもいまはちがう!」
イリーナがボルトを見上げる。
「本当にごめんなさい。でも、もうおしまい。明日になれば、やつらもっとたくさんの兵力を繰り出してくる。だから降参して投降する!私は大丈夫よ。やつらは私を必要としているのだもの、傷つけたりはしない。服従さえ・・・すれば」
「ボーダー99」ボルトはボソリとつぶやいた
「回収目標の生死は価値基準から除外する」
イリーナは、はっとしてボルトを凝視する。
「嘘をつくのが下手だな。やつらはもう、あんたの生死を問題にしていない。あんたの脳髄か、クローニングに必要なボディが回収できればいいと考えている。無事にもどっても、再発を防ぐために、外科手術か洗脳か・・・」
「あなたまで巻添えにしたくないの、ボルト」
「・・・自由になりたいんじゃなかったのか?」
「なりたいわ、うそじゃない!」
ボルト・クランクは、じかに床の上にごろりと横になって、 頭の下に手を組んだ。
「なぜ?やつらは正確な位置を把握できる?」
彼女はゆっくりと立ち上がり、さら・・・と上着をぬいだ。
それからブラウスのボタンとファスナー・・・。
黒髪が流れ落ちる。
ボルトの赤い斜光式丸眼鏡に、凝脂のなめらかな白い肌が反射した。
イリーナは、かすかに身じろぎながらボルトに向き直った。淡い花びらのような乳輪に飾られたふたつの乳房のあいだに、胡桃ほどの金色に輝く球体が、埋め込まれていた。
「生まれたときから取り付けられている『ブライアー』のエンブレム、つまり認識番号票よ」
「そいつが、あんたの位置をしらせてるのか」
イリーナはうなずいた。
「もともとは私たちの生態活動を管理するための端末。25000ごとの心拍数に反応しておおむね9時間おきにパルスを発してる。心拍と表面温度に急激な変化がおきればすればたちどころに爆発するわ。だから摘出できない・・・夜明けにはまた位置が知れるわ」
「なるほど」ボルトはあまり興味がなさそうにそう言った。
「もう休め。明日は自分の足で歩いてもらう」
だが、返事はかえってこなかった。

かわりに彼女の最後の衣類が床に落とされて、ほんのかすかな音をたてた。

<心拍58/1表面温度36.3代謝率異常なし>

イリーナは目を覚ました。
手触りは硬いが、しっかりと分厚い毛布の感触が素肌にまとわりつき、心地よかった。
ゴワゴワと強面てなクセに暖かい・・・ 。
彼女はまぶたの裏に、無口な冒険屋の不機嫌そうな口元を思いうかべながら、大きな存在に抱かれて眠る安堵感をたっぷりとあじわっていた。これほど安らかに眠ったことはなかったかもしれない。小さい吐息をついて、もう一度分厚い毛布をなでてみた。
時間の感覚がまったくない・・・暗くて何も見えなかった。
まだ夜があけていないのだろうか。
ずいぶん長いことかかって、ようやくシェルターの 闇の中で眠っていたことを思い出した工学博士は、あわてて、簡易ベッドから起き上がった。
その動きに反応してランプが点灯する。狭いシェルターの中が、がらんと空いていた。
「ボルト?」
不安にかられた彼女は、分厚い毛布を抱きよせ、それから自分の身体の異変に気がついた。
物心ついたときから身体に埋め込まれ、もはや身体の一部であった胸のエンブレムが、きれいになくなっているのだ。エンブレムの埋められていた部分の薄い皮膚が窪んで湿りを帯び、慣れない外気に触れてかすかな痛みを伝えていた。
が、傷はなかった。まるで、エンブレムだけを慎重に少しづつ削りとったかのように。
イリーナは、はっとしてシェルターの扉をあけた。凍てついた空気がキラキラと輝きながらシェルター内部を朝の光りで満たした。
冒険屋の足跡は、雪の上にはのこされていなかった。

夜のあいだに、強い風がふいたのかもしれない・・・。


 

 

 

『パルスをキャッチしました。2561,1100,120。国境より10Km。やや逆行しています』

「ふん、撹乱するつもりか、無駄なことを」
コルチェフは、残虐に一令を発した。
「行動開始!このターンで仕留める」
音速空母艇は、程なく冒険屋の姿を発見した。
ボルト・クランクは切り立った崖を背中に、新雪の積もった急斜面を見下ろす位置に、丸腰のまま立っていた。
音速空母艇はボルトを睨むかたちで、谷間の開けた雪原に着陸すると昨日の倍以上の人型戦車を吐き出した。重装の部隊は、新雪をけむりのように巻上げながら、じりじりと斜面を登り、ボルトとの間合いをつめていく。
冒険屋は無表情のまま、迫り来る軍隊をながめていたが、右手を前に差し出し、かすかに力を込めた。キュンとわずかに空気が振動すると、その手に小型な機銃が1丁だけ出現した。
モニターをながめていたコルチェフが、あざ笑うように 目を細めるとつぶやいた。
「ふん。予想通りだ。やはり昨日のランチャーが切り札だったな。そんなおもちゃで、どうやって戦う?冒険屋!」
バンバンバン!
先陣の戦車に向かって、ボルトの銃が火を吹いた。しかし鉛の弾雨など、重装甲にはなんの役にも立たない。戦車群は一瞬速度をゆるめたが、ふたたび斜面を登り始める。しかし、ボルトは身じろぎもしない。相変わらず切り立った岩壁にへばりつくように、敵を見下ろしている。
たった一人の冒険屋を仕留めるために派遣された特殊兵団が斜面の中腹にさしかかったときー。
銃を投げ捨てたボルト・クランクの右手がふたたび小さな光りを宿した。とおもうとそれは胡桃ほどの丸い金色の球体になって、そのまま空中に放り投げられた。
<心拍0/1表面温度-2,2 代謝機能率測定不能 スクランブルです。自爆装置作動>
「なに?!」コルチェフは蒼白になって電算の報告を聞き返した!
栄光のエンブレムは雪面に落ちた瞬間に爆発した。 そのとたん・・・
ゴ、ゴゴッゴオゴゴゴゴ・・・
不吉な振動が大地と大気を震わせ始める。と、冒険屋は狂気のごとく表情をゆがめた。
笑っているのだ。
次の瞬間!爆発のショックに触発されて、切り立った岩肌の上から大量の雪塊が落下し、大轟音とともに雪の斜面が崩れ始めた。
雪崩だ!
崩壊する銀の輝きの奥底に、あっというまに冒険屋の姿はみえなくなった。
白銀の津波は、次々と戦車をのみこみ、ついには離陸しかけていた空母艇までがまきこまれ、黒煙を上げて爆発する!
『J-21,31チーム戦闘不能!壊滅状態です』
『浪費率82%・・・86%コストアップ92%』
『35チーム壊滅』『浪費率89%コストアップ96%』
『Maguner飛空母艇撃墜!』
『浪費率118%コストアップ120%。ボーダー99の回収メリットを超えました。』
とたんにSPセクションのすべての電算報告は沈黙し、コンソールパネルの灯りが切れた。
闇のなかで、いままで口をひらいたことのなかった中央の電算報告が、冷酷に告げる。
『プロジェクトを停止します。指揮官は総帥室に出頭してください』

コルチェフは、血の気のひいた唇を強くかみしめると踵を返し出口へと、向かった。

国益を大いに損失させた責任をとるために・・・。

 

 

イリーナは、じっと待っていた。

冒険屋か、あるいはかつての同胞たちが訪れる瞬間を。
だがそのどちらも姿を表わさない。日はすでに高く登り、白銀の荒涼を強く照らしていた。
一瞬、深雪に輝く大地が、光りをゆるめる。冬の太陽を巨大な廃空艇ラヴィオンがしばし遮ぎり、ゆっくりと西の斜面に姿をあらわした。
『明日は自分の足で歩いてもらう』
イリーナの耳に、冒険屋の声がひびいたような気がした。
彼女は、はじかれたように一歩踏み出した。・・・一歩、もう一歩。
そして速度を早めていく。
はるか下方の国境まで、あと5Km。斜面をそろそろと降りる。ころぶ。柔かな雪に足をとられ、息が上がる。痛めた筋肉が悲鳴をあげる。心臓が強く脈うち、鼓膜の内でドラムのように響き始める。
この鼓動は、もはや自分だけのものだ。
彼女は自分の足で歩きつづけた。
自由であることの痛みをかみしめながらー

                        ENDE


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