「あんたがた、あの館にいくのかね」

日焼けと泥埃で黒くすすけた農民が尋ねた。

胸に薔薇十字の紋章をつけた三人の男女が振り返る。

不似合いともいえる軍服のような黒い喪服を纏った少女がにこやかにうなずく。

「ええ、たしかこの辺の領主さんのお屋敷だと聞いているんですけど」

「シルベリ館(やかた)なら、山向こうの水源にすぐそばだが…悪りぃ事はいわね。命が惜しければやめておくこった」

少女を守るように直ぐ後ろに立っているー背ばかりが高く痩せて顔色の悪い男は礼儀正しく会釈して丁寧の返答した。

「ご忠告はありがたいが、調べたい事があって、どうしてもいかなくてはならないのである」

同じような出で立ちだが、少々アレンジされた上着を羽織った、少し小柄な少年が、興味深そうにその後ろから口を出す。

「命?なんか危険な事があるんさ?」

「ああ、大有りだ…大きな声じゃいえねえが」

善良で罪の無い無知を顔に貼付けたその老農夫は、言葉にするのもおぞましそうに呟いた。

「この辺じゃ知られた話だ。あそこの一族は人喰いのバケモノだ」

青白いほうの男の薄い眉が、かすかにピクンとはねた。





BioTidal  -月の汀 1 -





干ばつだという。

見渡す限りの大地が乾いていた。

かといって灼熱の日照りというわけではなく、むしろ地熱さえもどこかに奪われたような冷え冷えとした風景が果てしなく続き、エクソシスト達の気持ちに重くのしかかって思えた。

村の埃っぽく色のあせた居住区を抜けるころには、農地というにはあまりにも荒れた痩地の色を日没の光がさらに奪い始めた。

「シルベリ子爵一族っていうのは代々この辺一体の領主だったらしいんだけど、100年ぐらい前の当主がかなりの人嫌いだったらしくて、突然、山奥の水源近くに屋敷を移したんだって。今はその家の娘さんが山奥でひっそり暮らしてるそうで、それが狼男じゃ無いかって言う噂なの。あ、狼女って言うべきなのかな?」

「いや、狼男でいいんさ。ルー・ガルー、ウェアウルフ、ライカンスロープ、ベナンダンテス、リュカントロポス、ウールヴヘジン…狼男伝説っていうのは世界中にあるけど、男でも女でもなぜかみーんな『男』扱いさ。なんつうか狼男ってのはイメージがけっこういいかげんだとおもわねえ?」

「そうなんだ…」

リナリーが、感心したように相づちをうった。

殺風景な田園風景は次第に枯れ果てた森の木々に変わり、心なしかもやが立ちこめ始めた。ますます陰鬱なよどみに染められた空気の中、ラビの声は不自然なほど陽気に響く。

「村であれこれ聞いてみたけどさあ。その昔の変人な御当主様が狼と交わったとか、村の子供を生け贄に悪魔を呼び出したとか、その水源に毒を入れて村中に疫病を流行らせたとかって伝説ばっかさ。事実かどうかわかんねえけど。その罪業の呪いだかなんかで、代々の当主が満月の夜に狼に変身するって話らしいんだな」

てくてくと歩きながらリナリーとラビが、お互い村で得た情報を交わし続けるその後をクロウリーはずっと黙って従った。

「今だに村の人は水源の水を怖がって絶対に飲まないらしいわ。毒があるとか、狼になってしまうからとかで」

「この干ばつだってのにご苦労様なことさ」

「でね。結局はっきりした事は村の連中からも聞けなかったの。なのに月の夜には、シルベリって人が野山を駆け回ったり、家畜を襲ったり、旅人を食い殺したりしてるって、みんな断言していたわ。なんだか当てにならないかも」

リナリーは少し不愉快そうに、小さく肩を落とした。

ロマンチストな面があるのか彼女はこの手の話は案外信じているらしい。クロウリーと遭遇したあの事件でも吸血鬼の存在を真剣に憂いていたぐらいだ。

ラビはやれやれと言うジェスチャーを大げさにしてみせた。

「まあ、狼男伝説なんてそんなもんさ。行ってみたら、何でもなかったりするんじゃねえの?」

二人が話している間中、クロウリーは地面を見つめたまま黙々と歩き続けていた。普段からあまりおしゃべりな男ではないが、今日は特に口が重い。やはり気にしているのだろうかと、いっそう、ラビは声のトーンを明るくする。

「でもさ。女の狼男なんて、ちょっと想像すると色っぽい感じもするさ?可愛コちゃんだったらちょっと出会ってみたかったりして…」

「やだ、ラビったら直ぐそういう…」

リナリーも気をまわすのか、少し明るい調子で相づちをうったが、クロウリーが乗ってこないのですぐにあきらめてしまった。三人は口をつぐむとしばらくの間思い足取りで目的地への道を進んだ。

黒く色の無い森はますます深くなり、日没の光ももはやかすかにしか届かなくなった。たち込めるもやは、重い湿気を含んだ霧となり、次第に風景を白く染め始めた。

薄やみの中で埃っぽい地面を見つめるクロウリーの鳶色の瞳はいよいよ暗く、怒ったように無愛想で、もっと別の何かを見つめ続けているように見える。

別の…

例えば自分の、暗い記憶。

「大丈夫?クロウリー」

この任務を引き受けたときから気がかりだったリナリーがついに、口に出して尋ねた。

「…何がであるか?」

顔を上げずに歩き続けながら、クロウリ-が尋ね返す。

心ここにあらずといった様子に、リナリーは困惑したように小さくため息をついた。

ラビもとうとう穏やかでは居られず…しかし、心とは違う言葉を吐き出した。

「あーあ。まいったさ…本当にいるんかな。狼男」

「であろうな」

「え?」

クロウリーのとげとげした声を聞いて、ラビは思わず振り返る。

顔を上げたクロウリーの瞳に険しい光が宿り、彼は目的地の渓谷の方角にらんでいた。

「村人がいうのであれば、バケモノは居るのであろう。…それが本物かどうかは別として」

彼にしては、物を含んだようないいかただな、とラビは思い起こす。


バケモノ!

バケモノ!

去れ!バケモノは二度と来るな!


クロウリーとの最初の出会いで垣間見た、暗愚な人間たちの罪の無い残虐さ。

偏見と差別に責め苛まれてきた孤独で優しい吸血鬼の本当の姿は、今は目の前にある。

「バケモノねえ」

その言葉がクロウリーにとってどういう重さなのか知っているラビは、何かに立ち向かうような彼の鋭い眼差しを、あえて臆する事無く鼻がくっつくほど顔を寄せて覗き込み、今度こそ正面向かって尋ねた。

「本当に大丈夫さ?クロちゃん」

あまりの真顔に毒気を抜かれたのか、クロウリーはきょんとして立ち止まり、パートナーの顔を見つめた。そして、その心配そうな顔の意味を理解すると、血の気を少し取り戻して、二人の若者を見回して柔らかく微笑んだ。

「全く心配無用である。むろん『私』は大丈夫である」

(私はもうバケモノではないのだから)

「ああ、……なら、いいんさ」

と、ラビが大きくにんまりとうなずいた時、先頭を歩いていたリナリ-が立ち止まった。

……ルルル…オン

「今、何か聞こえなかった?」

ラビも怪訝な様子で気配を探る。

「なんか……風が通り過ぎるような…地響きみたいな」

クロウリーが顔を上げ、声を低めて二人に警告した。

「二人とも気をつけるである。何かの集団が…こちらに近づいてくる」

彼の敏感な耳と辺境暮らしの経験にはその音の正体がはっきりとわかるらしい。発動し始めた彼の前髪がたてがみのように震え出す。

クロウリーは牙を光らせ、笑うようにゆがめて唸った。

「久しぶりに聞いた。これは…灰色狼だ。」

アオッルウウウウウウウオオオオンン

グルウルルウアアアアアアアアアアウウウオオオオオオン

四方から、咆哮する無数の肉食獣の遠吠えが、二人の若者の耳にもはっきりと聞こえ始めた。


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