「どうしてこの任務にクロウリーなの?兄さん」 黒の教団の最高責任者コムイ リーにその妹リナリー リーは詰め寄った。 コムイはというと、しごく真面目な場合だけに見せる申し訳なさそうにひそめた眉を眼鏡の上に貼付けてだまったまま。 「狼男の噂が本当だとすれば、超人的な能力を持った何者かがそこにいて、そいつがイノセンスに寄生された適合者である可能性は高いってことさ。アレンやクロちゃんのように」 リナリーの後ろで本棚に寄りかかって、事前調査の書類に目を通していたラビが口を挟んだ。その声は怒るでもおもしろがるでもなくどこか事務的で、いつもの陽気なラビらしからぬ響きをもっていた。 「だとしたら、その人物を捕獲する必要がある。その為にはうちの連中の中でも超越した身体能力のあるクロちゃんが最適任ってわけさ。だろ?コムイ室長?」 ラビのいう事は、むろんリナリーにもわかっている事だったが、彼女は食い下がった。 「でも、こんな事件、クロウリ-にはまるで…」 まるで過去の傷をえぐるようだ、と言いかけた時。 その時、室長室の重いドアを、丁寧にノックするとクロウリーがひょいと顔をのぞかせた。 「失礼するである、室長。科学班から、非常時用のアクマの血のアンプルをもらって来たのだが、出発はいつであるか?」 その腕にはラビ達が渡された物と同じ調査書の束がかかえられている。既にこの件に関して任務を言い渡されていたらしい。 「クロウリー。あのね」 リナリーが何か言いたげな様子に、気がつかないのか、気がつかないふりなのか。 クロウリーは遮るような明るい声で言った。 「おはようラビ、リナリー。二人と一緒の任務は久しぶりであるな。なんだか嬉しいである」 クロウリーは心配させまいとするように、とてもにこやかに二人に会釈した。 狼-と言うと童話などに出てくる、よこしまでズルくて獰猛でありながら間の抜けた、どこか頭の悪い悪役のイメージがある。 赤ずきんの狼然り、三匹の子豚の狼然り。 しかし、 狼というものは、見た目は大型犬のような物ではあるが、その知能と身体能力は犬のそれを格段にしのぐものであり、世界中の群れで狩りをする生きものの中では一二位を争うほどの狡猾さと攻撃力と統率力をもっていると言われている。 通常、銃や火薬の匂いなどをおそれて人間を襲う事は少ないはずだが、どうも様子が違った。 早足で移動するエクソシスト達は、次第に自分たちが囲まれ、追い込まれている事に気づき始めた。 しかも… 「妙だな」 と 軽く発動したクロウリーが吐き捨てた。霧はますます濃く、彼自身も狼の姿を目で確かめる事は難しくなっていたが、その足音を聞いて不審を抱いていた。 「どしたんさ、クロちゃん」 「狼の足音にしては、大きすぎる」 「どういうこと?狼じゃないの?」 「いや確かに狼の気配だが、もっと大型の…」 その瞬間、先陣を切った灰色の固まりが一つ、恐ろしいうなりをあげて、三人に突っ込んできた。クロウリーが腕をふり、血を固めた鋭い手で、その牙と爪を打ち払う。 ギャウ!と鋭い声を上げて、地面に叩き付けられた獣の姿が一瞬霧の合間に見え、その姿を見た三人はそれぞれに自分の目を疑った。 「?!」 「ク、クロウリー。あれって、ほんとにおおかみなの?」 「だよな。動物園の虎ぐらいあったさ」 クロウリーが一喝する。 「騒ぐな。動揺を悟られるな。 …確かに普通の連中じゃなさそうだな。だが、今のは様子見だ。スキを狙ってくるぞ。弱みを見せてはいかん!」 狼達は森の茂みに潜みながら、大きな包囲網をじりじり狭めたらしい。ラビ達にも獣臭い匂いや、荒い息が聞こえ始めた。 「なんか…うじゃうじゃいるさ?」 「…のようだな。たった三人では腹の足しになるまい」 「そういう冗談、今は聞きたくないさクロちゃん」 ウウウウ、グルルルル、 ガルルルオオウウ、 低く石うすをまわすような威嚇の声があたり一面に響き始め、何かが疾走する音が響きわたる。 やがてうす闇の中に獣達の目がギラギラと反射して、彼らの周辺にポツポツと輝き始めた。 とうとう三人は背合わせに固まるとひたすら周囲の様子をうかがった。 「みんな気をつけて!」 リナリーが少しおびえたような声で、それでも毅然と呟く。 「化け狼と狼男って関係あるんかな、これ」 少年と少女も、それぞれの武器を発動し、身構えた。 「こいつはアクマの方がましかもしれん」 クロウリーがぼやいた。 狼の攻撃はスズメバチのそれに似ている。彼らは集団戦を最も得意とする生物の一つだ。 一匹を攻撃し退けても、その間に次々に新手が襲いかかってくる。その動きは素早く、次々に急所を狙って連続攻撃を仕掛けてくる。その気になればグリズリーと恐れられる巨大な灰色グマも容易くしとめるという、狼たちの恐ろしさはそこにもある。 一方。 エクソシスト達の能力や武器は対アクマ用であって、他の物に対する攻撃力はそれほど抜群とは言えないが、彼らおのおのの実戦経験を考えれば、肉食獣ごときは臆するにあたわない。 だが、エクソシスト達は、違和感を感じ始めていた。 アクマの硬殻を打ち砕くリナリーのブーツも、自在に大きさの変わるラビのハンマーも、全くと言っていいほど、この地を這う獣に致命的なダメージを即撃しては居ない様子だった。 クロウリーにしても同じ事。 彼の鋭い爪に突かれ、切り裂かれ、あるいは投げ飛ばされても、狼達は戦闘不能になるどころか、怯む様子さえ見せない。 次々を襲い来る獣の攻撃をかわし撃ちはらうラビが息を切らしながら、悲鳴を上げた。 「やっぱ変さ!こ、こいつら攻撃がきいてねえ、数も増えてきてるし…」 「お嬢さん、シルベリの館まではまだ遠いのか?」 「よくわからないけど、この森をぬけないと…」 濃霧は、すっかり彼らの視界を損ない、時間の感覚も奪い始めていた。どのぐらい戦っているのかもわからず、彼らは疲労し始めていた。 「くっそお、こうなりゃ、火判でいっきに!」 ラビが手にしたハンマーを振り下ろそうとすると、リナリーはあわてて止めた。 「駄目よ!乾いた森に火が移ったら大変な事に」 「クソ、じゃ、どうするさ」 周囲を気押すように睨みつけてままクロウリーがいった。 「リナリー、ラビと一緒に早く空に逃げろ。その間、私が奴らの気をひく」 「クロウリーは?」 「大の男を抱えて飛ぶ訳に行くまい。私もお嬢ちゃんに抱っこされるほど落ちぶれては居ない。大丈夫だ、足には自信がある。貴様らがここを離れたらすぐに追う」 「な、にいってるんさクロちゃん」 「危険だわ、クロウリー」 クロウリーはラビの躯をぐいと推し、リナリーに預けた。 「四の伍の言うな。奴らが様子をうかがっているうちに-」 「でも」 ガルアッ! 突然、一頭の狼が背後から姿を現し。恐ろしいうなりをあげて、リナリーめがけて突っ込んできた。 「きゃああ」 「リナリー!」 ラビがリナリーをかばうように突き飛ばすと、その牙は彼の分厚い耐圧の団服をやすやすと食いやぶり、彼の腕に噛み付いた。 「ぐアああああ」 「ラビ!」 突進したクロウリーは狼の顎を掴むと、満身の力を込めてラビの腕の筋肉から引きはがした。 「ラビ!!大丈夫?」 「くっ、はっ。だ…大丈夫、骨は砕けてないさ」 だが、だらりと力の入らなくなったラビの腕から滴り落ちる血の香りに興奮して数匹の狼が襲いかかる。狼を掴んだままの体勢で、その集団に蹴りを入れたクロウリーは叫んだ。 「早く跳べ!あとから追いつく!リナリー!!早くラビを!!」 その声に弾かれたように ラビを抱えたリナリーのダークブーツが青白い光を放って空に舞った。 「クロちゃん!」 ラビの視界がぐんぐん上昇し、クロウリーの姿が地上に小さく縮む。みるみる霧にかすむその姿に、いくつもの灰色の固まりが襲いかかり、牙をたて、弾き飛ばされるのが瞬時見えた。 発動したクロウリーなら、おいそれと狼に食われる事は無いだろう、しかし多勢に無勢、どこまでもつかはわからない。 「クッソ。無事で居てくれよクロちゃん。リナリー!!早く村へ戻ってくれ!猟銃を借りねえと!」 「うん!!!」 リナリーは、深い霧の中黒い雷のように上昇した。 ふいに灰色の霧を突抜け、すんだ夜空に躍り出た二人は、空の輝きにぞっとした。 「なんてこった、今夜は…そうじゃないか」 思わずラビはつぶやいた。 漆黒の夜空には、 クロウリーの瞳と同じような 金色の満月が輝いていた。 |