今日が昨日になる頃。

月は天の頂にかかり、館の天井を飾るステンドグラスのレンズに集められて、煌々とエントランスの中程に光を落としていた。

銀色に反射するまぶしいほどの水灯のなかで、ジョンは身じろぎもせず、ただ杖銃を抱きかかえてこちらを眺めている。

「ジョン オービス。

オービスって言う名前は『羊飼い』の他に意味がある。

見守る者。神の目を意味するんさ。北欧では魔法使いに与えられる名だ。あんたフサルクを読む事ができるんだな?」

相手はすぐには攻撃してこないと見たラビはホルスターのハンマーにかけた指を外し、言葉を続けながら、ゆるゆると手をおろした。

ジョンはその場から動かずに低く声を発した。

「俺を育ててくれた羊飼いは、ジプシーの出で、わずかだが魔法の言葉をしっていて、子供の頃に教わったことがあった」

「…やっぱそっか。

黒の教団はこう見えても秘密組織なんさ。絶対的な力をもっちゃいるが、その存在は一般にはあまり知らされていない。まして、かた田舎の羊飼いが知っているのは、どうも妙な話さ。シルベリの日誌を読んだんじゃなけりゃ、教団やエクソシストの特殊な力を知ってるはずはない。それに一見するとただの傷にしか見えないが、あんたが手にしてる杖銃にはフサルクの刻みがある。そいつには『狼を撃つな』ときざんであった」

「まいったな」

ジョンは乾いたように笑った。

「銃をかすんじゃなかった」

ラビが軽く首を振る。

「いや、気づいたのは、杖銃のせいじゃない。その首の…。

はじめは「銀の弾丸」だとおもったんさ」

ラビはポリポリと指で髪の毛を引っ掻いた。

「でも銀じゃなかった。他のどんな金属とも違った。そいつは彼女のアンクレットから、えぐりとったものだ。

飲む水にもこまってるっていうのに、あんたのとこにはなみなみと水が汲まれていた。水源にこなければ、それは不可能な話だ。

村の迷信を信じずに水を汲みにきたあんたは、たまたま彼女が変身したところを目撃したんだろうな。そうしてその出来事は二人の秘密に、なった。

そのあとで日誌を読んだあんたは、彼女を狼男のままにしておこうと決めた。本来なら、孤児の羊飼いなんかと言葉を交わす事も出来ないー家柄も良くて富もある令嬢、美しく若くて、とても優しい娘をね。

あんたの羊の残骸には刃物を当てた痕があった。

あんたは、森の狼を手なずけるために自分の羊を殺しては、その肉を与えてきたんだ。その血を使って彼女自身の犯行を印象づけたりもしたんさ。

そして、子爵であるシルベリ家に興味を持つ者がやってくると、魔力を含んだ水を作り、てなづけた狼に飲ませて脅かし、近寄らせなかった。

狼に村を襲わせて、狼男が本当にいるのだという噂を流したのも あんただ。もちろん万が一にも彼女を傷つける者が無いように、銃はきかない、という事も吹き込んでさ。

そうやって、彼女に近づこうとする者をすべて排除し、彼女をこの場所に孤立させて縛り付け、外の世界に出さないようにしてきた。

ところが念入りにやりすぎた。

狼男の噂が広まりすぎて、その調査のために俺たちが来てしまった。

いつも通りに狼を放ったが、俺らは逃げなかった。おまけに俺らがこの真相の鍵である黒の教団だって事もわかっちまった。

やむなく、彼女を別な場所にさそいだそうとしたが、既に先客がいたのさ。

あんたはそんな光景を見たのは初めてだった。

彼女と親し気に話す客がいたんさ。

古風で育ちの良さそうな男。クロウリー男爵。彼女のように貴族の称号をもってるクロちゃんがね。

それで焦って乱暴に彼女をさらったんだが、予想より早くたどり着いた俺たちに遭遇しちまった。

それで、とうとう自ら変身して俺らの事を殺そうとした。

と、まあ。こんな感じなのか、な」

ジョンは、長い沈黙の後に「まいったな、ほぼ正解だよ」と呟いた。

「全部俺がやったことだ」

セラスティアは両手で頬を隠すように息を飲んだが、かろうじて小さく呟いた。

「…ど…うして?」

か細い悲鳴のようなその声に、ジョンの体が一瞬緊張の色を見せた。

が、彼は答えなかった。

長い沈黙の末、彼は乾いた声で小さく笑った。

「…今更なにをいっても始まらない」

「おいおい。羊飼いそれは…」

「どちらにしても、もう終わりだ」

ジョンはケラケラとヒステリックに笑い始め、

瞬時、真顔でセラスティアを見つめた。

「すみません」

血がにじむほどに唇を噛み締める。

「すみませんセーラ様。すぐに終わりにしますから」

彼は地面にむかって、その長い銃をうちつけた。

ビシイ!!

噴泉の水底全体がズシンと震え、蜂の羽音のような音をたてて青い光を宿し始める。

「な、なんであるか?!」

噴泉の縁一周に貼付けられた銀色のモザイクがわれ、金属質の巨大なリングがむき出しになると青白い光が炎のように宿り始めた。

「しまった」

ラビが顔色を変えた。

「ヤベエ、クロちゃん、うっかりしたさ!」

クロウリーは、むき出した巨大な銀色のリングに刻まれた月の紋様に注目した。

「まさか、あの大きいのも疑似イノセンスなのでわ…」

「わわわ、そのまさかかもさ。セーラちゃんのは試作品だって、ことは、完成品がどこかにってうわ!!アレでっけええ!?」

「ラビ!クロウリー!早く彼を月の光の外に!」

ダークブーツを発動させたリナリーが叫び、ジョンに走りよろうとする。

が、しかしもはや遅い。

ビリビリと空気が震え、館全体が揺れる中、ジョンを取り巻く光柱は生きた蛇のように彼の身体に無理矢理入り込むように取込まれ、その姿には異変が起き始める。

う、うううああああああっ

ビキッと音がして、絶叫するジョンの首にかかった革ひもがひきちぎれ、銀色の金属片が弾け散った。

ウグオアオオオオオオオッッッッッ

ふりそそぐ月光の中で、男の身体の肉が盛り上がり、苦悶の叫びとともにバリバリと衣服が破れ始めやがて、人の姿から獣に変貌したその男は、館を半壊するサイズに巨大化した。

「さっきより全然でっけえっ!反則さあぁ!」

ラビは数歩退りながらハンマーを巨大化すると傘のようにかざした。

もはや完全に化け物とかしたジョンが豪腕をふるう。巻貝のような螺旋の階上が薙ぎ払われ、バラバラと、粉砕されたレンガやガラスが降り注ぐ中、クロウリーはリナリーとセラスティアをその上着に庇いながら、懐のアンプルを取り出した。

「リナリー!!セーラを安全な場所へ頼むである!」

「うん。わかった!」

「ラビ!奴をー」

細く白い指が、クロウリーの上着の中でその胸元に触れた。

「まってくださいアレイスターさん!」

「セーラ…」

「彼を殺さないで、お願い。彼を!!」

クロウリーは、発動しかけた黒い眼差しでまじまじと娘を見つめた。

「彼を許すのか?」

「…殺さないで…」

「あなたを欺いてきた彼を…」

彼女の瞳に透明な雫が溢れ出る。クロウリーは、変容した自分の姿を目の当たりにしてなお恐れを抱かないその眼差しに吸い込まれそうに魅入られた。

白く逆立つ髪が天をつき、耳元まで裂けた口と牙が禍々しくも恐ろしい自分の形相が、その潤んだ瞳に揺れながら映り込む。

かつて吸血鬼と呼ばれた男が自分を見つめていた。

    それでも…あの人が好きだ

パキ

クロウリーは握りしめたアンブルのガラス管を指で折り、ドス黒いアクマの血を一息に飲み干し、紅く汚れた口を拭うと不敵に笑った。

「まかせろ」

ドン!

彼は疾い風のように、部屋を飛び出した。


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