月の汀8



セラスティアを抱えて館に戻ったクロウリーは、彼女の寝室(兼台所)のドアをあけ、彼女の身をそおっとベッドによこたえた。

彼女の意識は未だ戻らない。唇は真っ青だった。

「本当に大丈夫であろうか…」

リナリーがクロウリーを安心させようとうなずく。

「とにかく躯を温めてあげないと。わたしは、何か暖かい飲み物を作るから、クロウリーは乾いた衣服を探して」

「心得たである」

リナリーは竃の残り火をおこしながら、食料や塩などがきちんと並べられた保存棚を物色し始めた。

クロウリーもあわてて、ベッドの傍らの衣装箱らしいカゴを開けて、おそるおそる中を覗き込む。

「リナリー、こ、これを探すであるか?」

「そう、急いで」

「わ、は、はいである」

クロウリーは勇気を奮って衣装箱に手をつっこんだ。

後ろからついてきたラビが興味深そうに部屋の中を眺め始めた。情報収集に長けたその目には一目で『在る物』の認識ができるらしい。

「リナリー、上から2段目にワインがあるさ。年代物ってわけでもなさそうだ。蜂蜜を入れて熱くして、気付けに飲ませてやるといいさ」

「うん。わかった」

その間もラビは手伝おうとはせず、部屋の中をじろじろと観察する。

(ふーん?あらかたの生活用品は揃ってるさ。この部屋だけで暮らしてるみたいだな?館はバカでかいのにずいぶんつつましいもんだな。まあ、一人暮らしじゃその方が楽か。クロちゃんみたいにコレクション管理してる訳じゃないみたいだし)

「…ラビ!うわあっレディの部屋を観察するのは、ううわおッ。失礼である、おおお?」

クロウリーは手にした女性の薄物にいちいち戸惑いの声を上げながら、ラビをたしなめた。

しかしラビは聞こえないかのように、部屋の一番奥に進むと、開け放たれたままの窓をパタンとしめた。

「たぶん、ここの窓から連れ出されたんさ。薬かなんかかがされたのかもな」

「ぐあ!連れ出されたって、誰にふあ!?であるか?ううにゃああ!」

小鍋でワインを温めはじめていたリナリーが赤面する。

「もう!クロウリー、いちいち変なリアクションとらないで」

「面目ないである!と、とにかくこれで」

アクマとの戦闘時よりもかなりダメージを受けている様子のクロウリーはぐったりしながら顔面を真っ赤に染め、それでもがんばって探し当てた寝衣をリナリーに差し出した。

「ありがとう、じゃあ、さっさと外に出て」

「へ?」

「彼女を着替えさせるの!!早く」

「え、あわわわそそっそうであるなすすすまないである」

バネが外れたようにクロウリーは部屋の外に飛び出した。

「クロちゃーん、そんなに焦らなくてもー」

「ラビも!!」

『どわは!』

続いてラビが出口から飛んできた。どうやらリナリーに蹴り出されたらしい。

バタン。

扉が閉まるのを確認した男二人は、噴水をはさんで顔を見合わせ、フウとため息をついた。

「説明してほしいである」「説明してほしいさ」

切り返されたクロウリーはウっとつまった。

「あ、ある?」

ラビは、やや意地の悪いからかうような眼差しでクロウリーにすりよった、

「クーロちゃーん。どうしてあんなにあのきれいなネーちゃんになれなれしいんさ?な ん か あったのか な?」

「いっ」

ラビは、フリーズしているクロウリーを羽交い締めにぶら下がると、後ろから首に腕をまわしてしめあげた。

「まさか、一目惚れ…とか?」

「な、ちが!私にはエリアーデとい…苦しい、やめるであるラビ!やめ!…辞めんか無礼者!」

バシャン!

瞬間的に発動したクロウリーは、教団で習いたての組み手で、ラビを背負い投げるようにふりほどくと、噴泉の中に放り込んだ。

ラビは、あわてて起き上がり、浅い泉水に座り込むと、プルプルと頭をふる。

「ぷあ!いきなり発動するなんて、汚いさクロちゃん」

「フン、いいざまだ。大人をからかうからだ」

バンダナを額から外して搾り、被り直したラビが真顔に戻る。

「に、してもクロちゃん発動しっぱなしだな。アクマの血のんでないのに、大丈夫なんか?」

いいながら手を出す。クロウリーはその腕をとり、泉からラビの躯を起こしてやって初めて気がついた。

「小僧、その腕…」

ラビは、狼に噛まれて負傷したはずの腕を見下ろし、『ああ』とつぶやくと泉の真ん中に立ったまま巻いていた布を解いた。

あれほどの深手がすっかり乾き、完治こそしていないがほとんど傷も塞がって、ピンク色の新しい皮膚で覆われている。

「俺も気がついたのは、ついさっきなんさ。もうほとんど痛みもない。傷に貼った薬草ぐらいじゃこんな事起きねえはずさ。俺は、たぶんこの水が関係してるんじゃねえかと思う」

「水?そうだ、私も!」

クロウリーは、この館にたどり着く前の一部始終をラビに話した。水源地の水を口にした時の異変、セラスティアと出会った状況も…いささか赤面しながら説明する。

真剣に一部始終を聞いていたラビだが、最後ににやりと笑った。

「ふーん。それで、クロちゃんてば妙なリアクションだったってわけさ?」

「ば、莫迦もの!人が真剣に話をしているのに」

「わかってるわかってる。発動がまだ楽に出来るのも、もしかしたら飲んだ水のおかげかもな。…ところで、クロちゃん気がついてた?コレ」

クロウリーは、ラビが指差す足下の水をのぞきこんだ。

膝ほどまでひたっているラビの足が踏みしめている、鏡のように光る銀色のタイルが敷き詰められた泉の底のモザイク。

キラキラ揺れる水影の合間になにか幾何学的な線と花びらのような模様と、文字のような…

「こ、これは!」

「そう」

よっこらせとラビは噴泉の縁をまたいで外に出ると、クロウリーと同じ角度から泉を覗き込んだ。

「堂々とありすぎて見損なうってこともあるんさ」

水底にはエクソシスト達が見慣れすぎるほど目にしている紋章=ローズクロスが大きく描かれていた。



十数分後、いくつかの扉を開きながら、階上へ昇っていった二人は、ついに最上階のフロアにたどりついていた。どのフロアも明らかに使われている様子はないが、避暑地の別荘の冬のように、シャンデリアや、美術品やすべての家具に埃よけの紗がかけられており、それも埃をつもらせる事なく丁寧に掃除がされている様子だった。

クロウリーは、かつて過去の遺産と祖父の言葉に縛られていた自分を思いながら、同時に外に出る事を恐れていた自分の臆病さも噛み締めていた。はたして、セーラはどのような想いでここに日々暮らしているのだろう。孤独ではないのだろうか。

わずかな時間だったが、自分にはエリアーデという光のような暖かい存在があった。

愛という言葉の本当の意味を理解した。

その日々が、自分にとってどれほど救いとなったことか。

今なおその記憶がどれほど…。

彼女には…

「セーラは、本当にたった一人で移ろう季節をすごしているのであろうか」

「いや、違うと思うさ」

クロウリーが何気なく漏らした言葉をラビはきっぱりと否定した。

「ま、落ちぶれてもこの辺の領主だった子爵だかんな。金はあるだろうけど、村の連中の嫌われっぷりからすると、彼女がわざわざ森を抜けて買い物に出ている訳じゃなさそうだ。一人でこんなヘンピな場所にすんでいる事は嘘じゃないと思うさ。でも彼女の部屋みたろ?豊かとは言えないが、生活に必要なモノは、ほとんど揃っているようすだったさ。ワインもつい最近、収穫されたものだ。だれか、彼女の生活を手助けして、外とのライフラインをつないでいる人物が間違いなく居ると俺は思う」

  ーみんながみんな怖い人じゃありませんし…ー

「そういえば彼女も、ほのめかすような事を言っていたである…」

ラビはステンドグラスに飾られた天井に間近い、一番奥の納戸らしき部屋のドアに手をかけた。

ギシシ、という音がするばかりでノブは回らない。

「たぶん、その『怖くない人』が、狼男の謎を知ってるかもな。…ちぇっ。このドアだけ開かないさ。クロちゃん、ちょっと目つぶってて」

ラビは、ポケットからヘアピンを取り出し、鍵穴に差し込むと手慣れたように動かし始めた。

「ラビ!そ、それは、まずいと思うである…」

「ダイジョブ、なか見るだけだし」

「だいたいそんなモノどこで手に入れたであるか」

「さっき彼女の髪の毛からかりた」

「ラビィ!」

カチと心地よい音がしてかんぬきが外れた。

二人が中を覗き込む。

「ビンゴかも?」

そこには莫大な書物と書類、何に使うのかわからない実験器具のようなものや薬瓶が棚にごっそりと置かれている。また片隅には古くさい銃器や大はさみ、杖、棍棒、刀、拷問具と見まごうような禍々しい金属塊なども山のように置かれていた。

しかし、ここだけは掃除もされていない様子で、館が建築されたという100年の歴史に見合うほどの埃が降り積もっている。鍵がかかっていては、きれい好きらしいセーラもこの部屋には入る事が出来なかったのだろう。あるいは、入ってはいけないと禁じられてきたのだろうか。


中に入ろうとしたラビは足を止め、後に続こうとしたクロウリーを制した。

「どうしたである?ラビ」

床に、うっすらと踵の無い靴あとが残っている。

「最近じゃないが…誰かここにこっそり侵入した奴が居る」

クロウリーは状況をよく理解できずに首を傾げた。

「でも、ちゃんと鍵がかかっていたである」

ラビは傍らにある薄汚い杖を持ち上げながら呟く。

「ああ、こっそり侵入して、出る時に再び鍵をかけた。気がつかれないようにするためか、もしくは、誰も入らないようにするためか」

顔をあげて、ざっと本棚を見渡したラビは、迷う事無く一冊の本を取り出した。

その表紙を見たクロウリーが顔をくもらせる。そこには、やみくもにひっぱったような線がいくつも重なるように書かれ、記号のようにもアルファベットのようにも見えながら意味不明の紋様を刻んでいた。

「なんであるか、これ」

「フサルクさ。アイスランドあたりで派生した言語なんだけど、ルーン文字っていえば、何となくわかるかな。正確にはこれは長枝ルーンっつって難しい書体なんさ。羊の皮や木の棒や石に刻んだりして魔法式や秘術の記録なんかにも使われてきた。今じゃ使ってる民族はほとんど居ないが、限られた地域のジプシーや魔法科学を志すものなら…たとえば教団の科学班の連中なら簡単に読み書きできる代物なんさ」

「でもそれって、セーラの足飾りに刻まれていたものと…」

「ああ、おなじものだな」

言ったきり、ラビはその書物に目を通し始めた。というかクロウリーから見ると、やみくもにパラパラとページをめくっているだけにみえるのだが、ブックマン後継者の彼には、おそらくすべての情報が読解されているのだろう。

「こいつは、ここに館を移したっていうシルベリ家の祖先が記したものだ。みろよ、クロちゃん、ここにもローズクロスがある」

裏表紙を開いてみせたラビは、そこに記されている薔薇を架けた十字架の紋様を指でトントンと指し示した。

「100年前のシルベリ子爵ってやつあ、創始されたばかりの黒の教団の科学班に関わってたんだ。でも、どういうわけか、急に教団を抜けてこんな僻地に引きこもった。そしてこの場所にこんな変な館を建てた。以来、この地域には狼男が出没する」

イライラした様子のクロウリーはラビから書物を取り上げた。

「もう!じらさずに説明してほしいである!子爵はイノセンスを研究していたのであるな?」

「いいや」

ラビは首を振った。

「彼が研究していたのは疑似イノセンスらしいさ」

「ぎ、じ?」

ラビは、クロウリーの白い牙をちょいと指先でつつき、驚いている間に再び本を取り返した。

「本物じゃなく、誰にでも使えるイノセンスのまがい物。

つまりかつてのシルベリ子爵は

適合者を選ばない『対アクマ武器』を作ろうとしたのさ」


<次へ>