軒先きの石畳に、水滴が染み、ひとつふたつ。
空気が急に冷たくなって、あっという間に町中が水煙をまとう。
濡れ鬣を振り立てる馬車の馬たち。
あちこちに傘の花が咲き始める。
ロンドン名物のにわか雨だ。

「オーナー、とうとうふってきましたよ!!」
ローダは、奥の部屋の椅子に座ってうたた寝している雇い主に大声で伝えた。
返事はない。
やれやれ、とローダはため息をついた。
最近のギャビンさん、まったくやる気ないな。
仕方ないかな。旦那さんがなくなってまだ半年だ。
一時は立ち直ろうとして無理にがんばってたけど..最近ふさぎ込んでるものね。
私だって立ち直るのに苦労した。
悲しみは簡単に消えるものではない。だから、なるべくそっとしておいてあげないと。
ローダ自身もそれはよく知っていた。
こんな雨の日は特に・・・
いかんいかん。自分が思い出してどうする。

嫌な考えを振り飛ばすように、勢い良く抱えていたモダンローズのバケツを床に置き、店頭の花々を抱え、あるいは足で店の内側に蹴り込む。
並べられた花々の脇から長い柄のついた回し棒を取り出し、わざと威勢良くまわして、店先の屋根をのばしにかかる。
キコキコキコキコ・・・
赤と白のストライプのテント屋根が道に向かってのび、ひときわ雨が強くなったとき・・・
黒い大きな影が屋根の下に飛び込んできた。
それはまるで巨大な蝙蝠のような...。
ぎょっとして手を止めると・・・影はブルっと身震いし、水滴を散らして、ひどく哀しそうに嘆いた
「ああ・・・もう。ひどい目にあったである」

 

 

DAMASUC SHOWER  (薔薇浴)

 

 

それはとても背の高い男の姿だった。
長いこと雨の中を走りまわったらしく、すっかりずぶぬれだ。
真っ黒に見えたのは、季節を無視して全身をすっぽりと包んでいるロングコートと髪色のせいだろう。
そのくせ、その肩に大きく縫い取られた銀糸の紋章のように、前髪だけは白く 銀の雨粒を乗せて光っていた。
出で立ちからして、少し風変わりな様子の人物。
イギリス人では無さそうだ。

ずぶぬれの蝙蝠男氏はジッと見つめているローダの様子に気がついて、
とても気まずそうな表情を浮かべたが、次の瞬間ぎこちなく笑い、かるく会釈をした。
「すまないが・・・しばらく雨宿りしてもいいであるか?」
問われて、ローダは赤くなって、うなずいた。
「ええ・・・ゆっくりどうぞ」
興味本意でジロジロと見てしまった自分の非礼に気がつき、それをごまかすように素頓狂な声で彼に尋ねた。
「あ、の、外国から来た方ですか?」
ぎょっとしたように固まる彼。
「え、あ。なにか、変・・で、あるか?」
その声は少しおびえたように聞こえた。

・・まずい。さらに失礼なことを言ったかも。
ローダは、ごまかすように慌てて付け加えた。
「え?えっと、だって、この季節に傘を持って無いなんて。ロンドン子なら考えられないことだから」
「あ。そ・・・そうなのであるか。...」
なぜか安堵した様子で彼はうなずき、逆に勢い込んだ。
「たしかに、生まれはここではないである。
ロンドンは・・・そんなに雨のふる街なのであるか?私は仕事の都合で・・こちらにきたばかりで良く知らないので・・・・」
「ええ、ほぼ毎日。だからロンドンの紳士はどんな天気でも傘を持ち歩くぐらいですよ」
彼は話題を変えたかっただけなのかも知れない・・・
話はそれ以上発展せず、気まずい空気を弾くように雷まで鳴りはじめた。
ローダはあきらめて話題をかえた。

「・・・なかなか止みそうにありませんね」
彼がうなずく。
濡れてしなだれた髪の先からはハタハタと滴りが落ち、冷やされた肌がとても青白く見えた。
「あ、もしもよかったらタオルを・・」
ローダは、作業台の引き出しからタオルをだし、彼に手渡した。
手渡されたタオルに面喰らった様子で、彼は言葉を探す。
「あ、あ・・え、と。助かるである・・・えーとミス・・・?」
「ただのローダでいいわ」
ミスもミセスもいらない。
「で、あるか。ありがとうローダ。私はアレイスター クロウリー 三世である」
名を名乗るとき、彼はピシと胸をはった。

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