アレイスター、クロウリー・・・で。三世?
ずいぶん大仰な名前だな。どこか貴族、かな?
それにしてはロングコート の裾がボロボロに擦り切れて 大分くたびれている。
恥ずかしそうに礼を述べた彼は、受け取ったタオルで冷たく濡れた頬を軽く押さえ、さらに頭からかぶるとゴシゴシと髪を拭いていた。
服の上にたまった水滴をさらさらと拭き落とし、
ぐしょぐしょになった白い手袋を華奢で長い指々からひっぺがす。
最後にくしゃくしゃになった髪を手櫛で梳いて、ほっとしたように小さく笑う。
黒いほど紅くふちどられた薄い口元から大きな犬歯がちらりと見えた。
まゆ毛が薄く掘りの深い釣り上がった目は、なんともこわそうな印象だが、金色にみえそうな薄茶色の瞳はとてもやさしく穏やかだった。

クロウリーは使い終わったタオルを丁寧にたたんでローダに返した。
そのとたんに、ローダはそれが店の作業用タオル(むろん洗ってはあるが)だったことを思い出した、が もう遅い。
ローダは、気付かれぬようにあわてて、丸めたタオルをカゴに放り込むと、視線をはずし、
先ほど床においた深紅のモダンローズのバケツを一番見やすい棚に乗せた。
それを見てクロウリーはようやく、ここが花屋だと言うことを認識したらしい。
「ローダは花屋さんであるか。素敵な店である」
「あはは。ありがとう。でも私はただのバイト。オーナーのギャビンさんは奥でお昼寝中」
「一人では大変であるな」
「平気よ。雨がふると暇だし」

本当にこの雨ではお客さんはあまり期待出来無さそうだった。
売れ残り必死だわ・・。
満開の薔薇は綺麗だが、あまり持たない。なるべく長もちさせるために、スプレーを取り出し、花達の枝葉に霧水をふく。
霧露をのせた薔薇は、スワロを散らしたように輝いた。
クロウリーがほおぉと感銘の声をあげる。
「見事な薔薇である」
「ええ、これはモダンローズ。新種でね。本日の目玉商品。けど、この雨じゃ売れ残るな。
・・・お花、お好きですか?」
彼は少々恥じらいながら、こくんとうなずいた。
「故郷では ずうっとたくさんの植物を育てていたので。・・・これだけ植物があると、なんだか懐かしい気分になるである」
まるで少年のような屈託のない笑顔。
「それに特にこの季節の薔薇は・・本当に・・きれいであるから」
それからすこし哀しい微笑み。
ローダはちょっと驚いた・・・ああ、本当に花が好きなのだ。それも恥じらうほどに。
もちろん、花が嫌いな人なんてめったにいない。
今までの経験上、男ってのは女性の前では、花の名前の一つ二つ知ったかぶりして、自分のエレガントさを鼓舞したがるものだし。
しかし、彼はそうではないとすぐ、わかった。
何故って「薔薇がきれいだ」なんて、当たり前に聞こえる事実を 実際に口にする男は少ないのだ。
私の知る限りでは・・・
・・・・だめだ、あの人と比較することに全く意味はない。
よけいなことを思い出してはいけない。

幸せそうにうっとりと店内を見渡していたクロウリーは、ふと怪訝な顔をした。
それから先ほどのモダンローズの束にうずまるほど顔を近付け、つぶやいた。
「?・・がないである」
「どうしましたクロウリーさん」
顔を曇らせたクロウリーは
「この薔薇はあまり香りがしないである」と不思議そうに言った。
「故郷のは、たった一輪でも手折って飾っておくと屋敷中がとてもいい香りがするのである。季節になると薔薇が咲く谷の風にのって、香りが村中に満ちるんである。
だが、この薔薇達はあまり・・・」
あ・・。
ローダの胸に波紋が落ちた。心に思い当たることがある・・・・。
どきどきしながら、ローダはエプロンのポケットを探り、小さな布のお守り袋を取り出した。
刺繍にふちどられた小さな絹袋。
肌身はなさず身につけている懐かしい品。
それをクロウリーに差し示す。
「クロウリーさん、もしかしてそれはこの香り・・?」
渡された小さなお守りをくん・・と嗅いだクロウリーの顔が、ぱっと明るくなる。
「そう!そうである、この香りであるが・・・これは、なんであるか?」
「やっぱり?そうじゃないかとおもった」
ローダは興奮をかくせず、はしゃいだ。
「これはサシェというの。乾燥させた花や香りのよいハーブをつめて、綺麗に刺繍したものなんです。中につめてあるのは、ダマスク」
「ダマスク?」
「匂薔薇の一種なの。ダマスクという薔薇は古い品種で、とても香りが強いので香水にするのよ。ジャムにしたり、お菓子にもするし、
こうやって 乾燥させた花びらは綺麗な袋につめてお守りにしたりね。
悲しみを癒してくれるハーブなの。
作られてから何年かたって、匂いを失ったようにみえても、人の手であたためると、ほら」
ローダは自分の手をのばすと サシェをクロウリーの冷たい手ごとコシコシとあたためた。
とたんに、ふわりと薔薇の香りが強くなる。
「ああ、・・・良い香りであるな・・雨上がりの薔薇の香りである。」
「でしょう?
・・・そうか、クロウリーさんはダマスクローズの咲く国の人なんですね」

・・・それは海をこえ、ヨーロッパをこえたはるか先の国だ。
一体彼は何故そんな遠くからきたのだろう。
・・・一人で来たのだろうか。
家族や庭の植物達は・・。
恋人は、どうしているのだろう。
この香りにどんな思い出があるのだろう。
クロウリーは何かを思い出すように、うっとりと佇んでいた。

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