その夜
神田ユウは不機嫌だった。
イヤ
その表現は正確ではない。
その夜の神田ユウはいつにもまして不機嫌だった。
月明かりの中、彼は森の中の鍛練場に足を運びながら、忌々しそうにつぶやいた。
「マッタクくだらねえ、なにがハロウィンだ」 

 

Lycaenidae 小灰蝶ーシジミチョウ 

 

晩秋のロンドン近郊。
深い木々の間には、雪のように落ち葉が降りそそいでいく。
その中心にたたずむのは一人の美麗な青年、神田ユウだった。
「ふううう」
息を整え、目を固く閉じる。
黒い絹糸のような髪が、サラと肩から流れ落ちる瞬間
殺気を絞り込み、抜刀する。
ヒュッ
落ち葉は、すべてまっぷたつに切れながら、弾かれることなく、軌道になんのかわりも無いように舞い落ちていく。
しかし、
見事な居合いとは裏腹に、彼は忌々しそうに『ちっ』と舌打ちをした。
「くそ。気が散ってしょうがねえ」
理由は明らかだ。
うんざりするほど甘い香りが森の中にまでただよっていたためだ。
シナモンとカボチャの甘いニオイ・・・
甘ったるいお菓子の臭気。胸が悪くなりそうだ。
今夜の夕食の時間は余りに落ち着かなかった。
ハロウィンパーティと称する親睦会が開かれ、食堂一面がオレンジ色と黒で飾られて、テーブル中にかぼちゃと甘ったるいケーキとキャンディが山盛りにされ、訳の解らない格好をした馬鹿野郎どもがうろついていたからだ。
「今夜は新しく本部に来た人たちの歓迎と親ぼくをかねたパーティなのよ。神田もちゃんと参加してね」
黒猫のような扮装をしたリナリーにクギを刺されていたので、さすがにその場でキレることはしなかったし、ジェリーのはからいで、ちゃんといつもの夕食(蕎麦)を食べることはできたが・・・・
菓子の甘い香りに胸焼けしそうだった。
おまけにモヤシのやつは、嘘臭い笑顔を・・
いや、アイツのことはいい。
アイツの様子が妙なのは今夜だけのことではないし、自分にはマッタク関係ないことだ。クロスがいなくなろうが、モヤシのやつが14番目だろうがなんだろうが、自分の知ったことでは無い。
神田は自分の『食事』をすますと、勝手にパーティ会場を抜け出した。
「くだらねえ。だいたい甘いのは大嫌いなんだよ」
ぶつぶつつぶやきながらも、意識を集中しようと努力した。
目をつぶり、舞い落ちる落ち葉をイメ−ジする。
(1・・2、3・・・6、7枚)
『ムッ』
刀をふりながら、
しかし、今回はわずかな違和感を感じてその切っ先を押しとめた。
氷のような薄刃の数ミリ先に、薄紫の花びらのように小さな蝶が舞っていた。
神田は、無表情に蝶を目でおいかけながら、音も無く、刃をさやにおさめた。
この紫色の小さな蝶を神田は以前みたことがあった。
幼かったころ、故郷で、何度も。
名前は・・はっきり覚えていないが、確か貝殻のような呼び名を持っていたはず。ありふれたつまらない蝶だが、この時期には珍しい。
ロンドンはすでに晩秋だ。深夜には霜のおりる時もある。
小さな蝶は、月明かりの中、儚くもしっかりとした羽撃きで、神田の目の前を横切っていった。
そして・・・・木の影に立っていた背の高い男の背中に、ふいととまった。
「!」
男がそこにいることを知って、神田はさらにイラついた。
甘いニオイのせいだろうか、集中を高めようとやっきになったせいだろうか、
全く男の気配に気がつかなかった事が、腹立たしい。
そいつは知っている顔−エクソシストの一人だった。
不審も手伝って、神田は恐ろしくドスのきいた声で脅した。
「何だ、テメエ。こんな時間に」
「わ!?」
テメエと呼ばれた男は、神田はそこに居ることには全く気がつかなかった様子で、ビクリとこわばる。
「か・・神田・・・す、すまないである。いるとは知らなくて。あの、訓練の邪魔をするつもりではなかったんである・・ほんとうに。ごめんなさいである」
振り返りながら謝りまくるその男を神田は無言でジッと観察した。
なんて名前だった?こいつ。モヤシの後ろによく立ってる奴だ。
方舟からこっち、ずっと病室送りだった奴だよな。
苦労・・なんとか・・?そう、クロウリーだ。
アレイスター クロウリー 三世は、神田がいることを予想していなかったらしく、ひどく困惑しながら、数歩退いた。
「何か用か?」
神田はクロウリーが抱えている薔薇の花束を不審そうに、一瞥した。
クロウリーは困ったように白い前髪をかきながら、しどろもどろな様子で言った。
「いや、その、か、神田に用事ではないである・・・ちょっと訳あってささやかな焚き火をしたいだけである。みんなはハロウィンのパーティ中だし、建物の方角が煙って驚かれてはいけないとおもって。風下の森に歩いてきただけなんである。邪魔をして、すまない」
「焚き火?ハロウィンの悪ふざけか?はしゃぐのもたいがいにー」
クロウリーが慌てて言い訳する。
「ち、ちがうんである!その・・死んだ者を迎えるための焚き火である」
神田は動きをとめた。
「死者?・・・・迎え火だと?」
「そう、迎え火である。・・・万聖節のイブであるから」
クロウリーは暗い空を見上げた。
「今夜は毎年、死者を弔う夜であるから」

<NEXT>