そのとき、
私はそこにはいなかったけれど
心のどこかで、信じた。
最後の瞬間
その人(アクマ)はきっと
幸せだったのだ と。

 

 

The Hardy Night-ネムレヌヨル-

 

闇の中で、リナリーは目をさました。
心臓が弾んで、鼓膜の奥の拍動が、まだ響き渡っていた。
また、同じ夢だ。
世界が、壊れる、ゆめ
それが夢だとわかると、ほっとしてまぶたを深く閉じる。
でも次の瞬間
誰かが泣いている気がして、耳をすます。
声が聞こえる訳ではないのだが、自分の胸の中にまだ、ひやりとした熱が宿って、そう感じるのだった。

リナリーは時折、不安な夢を見る。
誰かにシンクロするように。
誰かの苦しみを
痛みを分けてしまうのかのように。
感受性の強い年頃だから、と兄のコムイは慰めてくれるが、
気のせいでは無いとリナリーは思う。
素足でベッドをおりて、闇を伝ってそっと廊下に出る。
いくつかの部屋の前をとおって、一つの扉の前で立ち止まると、リナリーは確認するように、その前で深く呼吸した。
今日、合流したばかりの新しい仲間。
クロウリーの部屋だ。
静かに、ためらいながらドアノブをゆっくりまわす。
宿の古い扉が緩むと、その隙間から苦しそうに喘ぐような声が耳に入った。
すすり泣きのようでもあり、獣の断末魔のようでもある。
その声に背筋がぞくりとしたが、リナリーは意を決して扉を開いた。
おそるおそる、のぞきこむ。
ベッドの上で、身を捩りながら、クロウリーが哭いていた。
女性のように細い腕で、何度も虚空をかき抱こうともがき、息をすることを忘れたかのように喘ぎながら、声にならない声で叫んでいた。
『   …ーデ!』
誰かの名前をよぶように…
何度も何度も求めるように。
叫ぶたびに、牙を食いしばり、涙を流し、我が身をかき抱く指に力がこもる。
それでもなお、悪夢にとらわれたまま、彼は向こう側に、居た。

今、彼は地獄に居るのだ。
地獄の炎にやかれているのだ。とリナリーは思った。
怖いのも忘れて、クロウリーのベッドに走りよると、彼の肩をつかんで揺すった。
「クロウリー、大丈夫?クロウリー!!」
急に起こしていいものかどうかはわからない。
けれども彼を地獄から引きづりあげなくてはいけないとリナリーは思った。
無理矢理力任せに、彼の半身を引き上げ、大きく呼びかける。
『目を覚まして、クロウリー!!』
蘇生した胎児のように、音を立てて息を吸い上げたクロウリーが、急に目を開けた。
「はっ、っはっ、っはっ、は、は、はあ、はあ、はあ…」
自分の状況が把握できずに、わなわなと唇を震わせ、何を見ればいいのかわからない瞳が涙を溜めたまま、先ほどまでの悪夢の風景を探し続けている。
やがて、それは正面に居る、リナリーの姿を捉え、留まった。
「…は、…あ、わ、私は…」
クロウリーの呼吸はまだ荒く、呼気のたびに肩が乱れた。体中がじっとりと冷や汗をかいて、部屋の中に居るのに雨にぬれたかのようだ。
汗と涙にまみれ、白い前髪が乱れて額に張り付いている。

リナリーは彼を落ち着かせようと、その髪を指で流してやりながら、何度もうなずいた。
「大丈夫、もう、大丈夫だよ。ホラ。私よ。リナリー リー。夢だから!全部、ね。悪い夢を見たんだよ、うなされただけだよ」
「リナ…リ?…夢?」
「そう、夢だよ、ただのゆめ」
リナリーは母親が子供にしてやるように、クロウリーを抱きしめて、背中を軽くたたいてやった。彼の心臓がまだ早鐘をうっているのが、伝わってくる。
混乱するクロウリーは、ほんのわずかな間、されるままになっていたが、状況を飲み込んでくると、おもいっきりあわてて退いた。
「え、リナ?リ…リナリーがどうしてここに?」
リナリーは一瞬きょとんとしたが、優しく笑った。
「クロウリーが、うなされていたから」
「わ、私が?」
「怖い夢みたんでしょう?すごく苦しそうにうなされていた」
誰かの名前を叫んでいたことは、言わなかった。
「ゆめ…」
彼は自分の身が現実に戻されたことを知ると、顔を両手で覆った。
「夢であるか」
その声は、さらに深い絶望に落とされたかのように…リナリーには聞こえた。
まるで悪夢の中の方がよかったというように…。
けれども、彼はけんめいに顔を上げた。
「ありがとうリナリー、もう、大丈夫である」
クロウリーは顔面蒼白のまま、リナリーに微笑みかけた。
その声はかすれていた。
シーツを握りしめる細い指節が白く、少し震えている。
リナリーは、その指を少し見つめていたが、ポフっと音を立てて、ベッドのすみに座り、にっこりと笑っていった。
「ねえ、クロウリー。どうせ起きてしまったんだったら、少しお話につきあってくれる?」
「え?」
「私もなんだか眠れなくて。何か楽しいお話をしない?それにクロウリーのこと、まだよく知らないし。いろいろ聞いてみたいこともあるから」
クロウリーのおびえた子供のような瞳に一瞬希望の輝きが見えたが、
「いや、だめであるよ」と
と明るい顔でつぶやいた。
「リナリー。年頃のレディが、こんな深夜に男性の部屋に居てはいけないである。昼間お茶でもしながら改めてゆっくりー」
リナリーはプッと笑った。
あまりにもまじめな顔。
こういっては失礼だが、こんな時にさえジェントルなクロウリーが、なんだかとても可愛く見えてしまったのだ。
たしかに外見は、本人も気にするほど恐そうだが、中身はガラスのように繊細で、奇麗だ。
兄のコムイとほとんど同じ年頃で、背の高さも同じぐらいの男だが、なんだか、兄とはまったく違う雰囲気だと思った。
「な、なんで笑うのであるか?」
「だって、昼間は私のこと『少女』だって、すっかり子供扱いだったのにいきなりレディとか言われたら、照れくさいよ」
「あ、う、いや、それとこれとはそのー」
「大丈夫。私たちはもう仲間だもん。ううん。私はみんなのことを家族だと思っているの。教団の一員になったクロウリーも私の家族だよ。だから、別に問題なし。
じゃあ、私の方から何かお話しようかな?あ、何か聞きたいことある?教団のことでもいいし、アレン君たちのことでも、なんでも。そしたら次は私が質問するからクロウリーがお話するの、いいでしょう?そうだ、お茶も飲もうか?私、入れてくるね」
クロウリーは、リナリーの押し切りにいささかハニカミながら、小さくうなずいた。

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