引っ越しの荷物が山のように積み上げられた科学班のフロアに、四人の若者は集結した。
「だめさあ、大聖堂にも修練場にもいないし、見たって奴もいねえ。風呂にもいなかったさ、トイレも一応見たけど、やっぱいねえし。」
バンダナを外しながらラビが言った。
「居住区も聞いてみたんですけど、誰の所にも行ってないみたいです。
食堂のあたりで、コムイさんと話しているのは確かに目撃されてるんだけど、そのあとのことが全然」
アレンも首を振り、言った。相当走り回ったらしく、うっすらを汗をかいている。
「…ということは、科学班のフロアより上にはいない確率が高いさ」
迷子探しに結局は参加しているリンクが冷静にメモに記した情報を報告した。
「メインエレベーターを含め作業用リフトなどに閉じ込められたりもしていませんね。実験室でも確認できませんでした。外に出た可能性もありません。船着き場と門番の証言をとってあります」
リナリーは少し青ざめた様子で二人に告げた。
「ヘブラスカに聞いてみたんだけど、さっき、近くでイノセンスの気配を感じたような気がするって。さらに下に向かっている気がしたって」
「それって、絶対クロちゃんさ」
「絶対そうですよ。でも…となると、少し厄介ですね」
「ええ」
三人は床の下を見つめた。
「なんですか?」
リンクもつられて下を見る。


というのは襲撃を受けて焼失したラボから遥か下のことだ。
あの事件以来、崩落が激しいので、警備班や、修理の目的以外での立ち入りは禁止されている。
ヘブラスカの間や現在の最下層にある火葬場は、かろうじてまだ使われているが
もともと、それ以外の場所は初期の建造が次々に重なった迷路になっている。
現在使われていないフロアも多くあり、ここに住んで長いリナリーもほとんど足を踏み入れることの無い場所だという。
「火葬場より下か…地獄でないことを祈るさ」
「縁起でもないこと言わないでください、ラビ」
階段を下りようとするアレンに耳元の受信機が唸った。
『コムイだけど、クロウリーは見つかったかい?アレンくん』
「…それがまだ。でも、どうも一番下の方に向かった可能性があるんです」
アレンは立ち止まらずに話を続けた。後ろからラビとリナリーとリンクもおりてくる。
『やはりそうか。下層の蒸気炉を修理しにいってる者が、さらに奥で誰かの声をきいたような気がするって報告してきたんだよ。
実は、下層の古い蒸気炉は、襲撃のとき以来ダメージをうけていて、オーバーヒートの可能性があるんだ。もしそうなると安全装置が働いてフロア全体に水路の水が注入される仕組みになっていてね、それより下にいると退路を断たれる可能性がー』
アレンが青ざめる。
「そんな!!クロウリーがいるかもしれないんですよ?」
『うん。わかっている。だから気になってね』
「クロウリーが見つかるまで、くい止めておけないの?にいさん」
『もちろん、こちらも応急処置をしているところなんだが、臨界点を超えると自動的に水路が開く仕組みなんだ。古いものだから解除手段も無くて防ぎようがない。
一刻もはやくクロウリーを見つけてほしい。
……それから、ちょっと気になることが一つ』
「…なんですか?」
『実は、蒸気炉の加熱のせいで、思わぬものが発生していてね』
深刻そうなコムイの声にアレンは思わず立ち止まった。

 

 

 

作業用リフトを乗り継いだアレンとラビは、稲妻のように最下層の暗がりに飛び出した。
あとに続いていたリナリーとリンクが別なルートに分かれる。
「蒸気炉のほうはまかせて、アレンくん!」
「異常があればすぐ知らせます!」
「ごめんリンク頼む!ラビ。位置確認を」
「おう、任せるさ!」
リンクとリナリーと分かれた二人は、さらに階下を目指して突進していった。
嫌な予感がしていた。

 

 

「食人花…ですか?」
『うん。もともと地下倉庫にある廃棄されたサンプルなんだ。本来、芽吹くはずが無いんだが、蒸気炉の熱で生育してしまったらしくて。今じゃ危険だから立ち入り禁止になっているエリアだ。クロウリー城で君たちが遭遇したものとは違う種類でね。ちょっと変わった捕食の仕方をするんだ。
…擬態ってわかるかな?』

(クロウリー!どうか無事でいてください!)
「ここさ、アレン!」
「クロウリー!」
「クロちゃん!」
錆びた扉を蹴り飛ばした二人は目の前の光景に肝をつぶした。
蒸気の立ちこめる巨大な空間には、莫大な数の古代植物たちがはびこってジャングルのようになっていた。
花たちは触手をうごめかして、アレンたちの前に立ちふさがり、呪わしい叫び声をあげている。通路は埋め尽くされ、もはや存在しなかった。
「どうしよう!これじゃぜんぜん奥に進めないですよ!」
「くっそ!こいつらに愛を語ってる暇はないさ!こうなったら炎でー」
鉄槌に手をかけようとしたラビをアレンが制した。
「ラビ!あそこ!」
アレンが指差した先を見たラビの動きが止まる。
「クロちゃん!」

花々の一番奥。
ひときわ大きな純白の花卓の上にアレイスター クロウリーは いた。
体中に食人花の触手がまとわりつき、彼自身が植物の一部であるかのように。
いや
まるで彼らの支配者であるかのように 巨大な花々の中心に、彼は立っていた。
「クロウリー!」
「くっそ、これじゃ焼き払う訳にいかないさ!」
「ラビ!…あれ」
アレンの声が震える。
その傍らにある美しい女の姿に、二人は息をのんだ。
それが誰の姿なのか、二人には痛いほどわかっている。
「ク…ロウリー…」
「クロ…ちゃ」

 

 

『その花は擬態するんだ。油断させる為に獲物の心を読んで。獲物が一番会いたい人にそっくりの姿に…』

 

コムイの言葉を思い出しながらアレンは凍りついた。
『彼女』はぞっとするほど美しい至極の笑みを浮かべながら、華奢な両の腕をのばし、クロウリーの躯に巻き付けて優しく引き寄せ、抱きしめていた。
クロウリーの貌からは感情は読み取れないが、彼はただ、されるままに立ち尽くしている。
「クロウリー!」
アレンは絶叫した。
「クロウリー!!しっかりしてください!」
ラビもありったけの声で叫ぶ。
「クロちゃん、逃げるさ!わかってるだろう?そいつは偽物さ!!」
「くるな!」
クロウリーの声が、薄暗い伽藍に響き渡った。
「来てはだめである!」
その声は震えながらも鋭く、アレンの胸に突き刺さるように強かった。
「…クロ…ウリー?」
「まさか、クロちゃんアレに喰われる気さ?」
クロウリーの予想外の返答にアレンが絶望する暇もなく、リンクの声が耳元で響いた。
『アレンウォーカー聞こえますか?やはり蒸気炉がもう危ない状態です。数分で安全装置が作動するでしょう。修理班も避難はじめています』
『アレンくん?クロウリーみつかった?水路が開く前に三人とも早く上に…』
アレンはあきらめずに叫んだ。
「クロウリー!!お願いです!
…お願いだから、聞いてください!
クロウリー。
ここはとても危険なんです。この近くの蒸気炉がこわれかけているんです。暴発を防ぐ為の水がもうすぐ流れ込んできます。
もうここにはいられません。一刻も早く、脱出しないと」

 

 「やはり、そうであるか」
クロウリーは哀しそうにつぶやいた。
涙を流しながら振り返ったクロウリーは『彼女』に抱きしめられながら、しっかりとアレンたちを見据えた。
悲しみに満ちてはいたが、その瞳は冷静に研ぎすまされていた。
「アレン、ラビ。…迷惑をかけてすまないである。
もう少しだけ時間をくれないだろうか…どうしてもやっておかなければならないことがあるである」
彼は深く息を吸うと、かつてのように無理に明るい様子で告げた。
「二人とも、安全な場所で…。外で、待っていてくれないか」
「クロちゃん!」
「クロウリー!」
不安そうな二人の顔を交互に見たクロウリーは、白い髪を揺らして、ようやくにっこりと笑った。
「信じてほしい。大丈夫、である。」
『死んだと思ったであるか?』
アレンの脳裏に、最初の出会いの朝が思い出された。
あのときの、クロウリーの笑顔。
アレンは唇を噛み締めた。
「ラビ」
ラビも同じことを考えたに違いない。
「ああ」
ラビは短くうなずき、躊躇はせずにドアの方へ退る。
「クロちゃん、あんまし、待たせるなよ」
アレンも不安な気持ちを必死に抑え、じりじりと後ろに下がった。
「待ってますからね!僕、待ってますから」

 

 

「すまない。これで、お別れである。」
二人の姿を見送ったクロウリーは天をあおいで、つぶやいた
「だが、決してオマエたちの想いは無駄にはしない」
クロウリーは、そっと愛しい女の姿をしたモノの腕をつかんだ。
そしてためらわず、
しかしかぎりなく優しく振りほどいた。
そのまま、振り返ること無く、白い花びらの上からおりていく。
ゆっくりと出口の方に向かう。
食人花たちは言葉がわかっているかのように、おずおずと触手を振りほどき、クロウリーの躯からはなれて、なぜか、けして引き止めようとはしなかった。
それどころか、あたかも道をあけるように、葉をわけ、茎を動かした。
「あ れ い す た あ さ ま」
擬態であるそれはクロウリーが身を離すと、わずかに声を発し、微笑んだように見えた。
が、その次の瞬間
さらさらと美しいその姿をほぐして、風に解けていった。
花びらが散るように…。

 

牙を食い縛めたまま、
アレイスタークロウリーは、一度も振り返らなかった。

 

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