0:55:25

『アクマですって?エクソシスト?一体何の話をしているのです」
操舵室に集められた船長や乗務員は、ミランダとリンクの状況説明に混乱していた。だが、納得させる必要は無い。
「理解しろとは言っていません、これは命令です。助かりたければ、私たちの指示通りに動いて下さい。一刻も早く着陸の用意を。
先ほどの爆音を皆さんは聞いたでしょう?
彼女の能力で、船は正常を保っていますが、既に何カ所か爆撃を受けています。今の彼女の体力では長くは維持できません。
客をなるべく室内の奥に。窓側は特に危険だ。アクマという特殊な兵器は毒の砲弾を撃ち込んできます。
今はわれわれの仲間が出て、船の上層に引きつけていますが、いつこっちを襲ってくるか、わからない。万が一にも被弾しないようになるべくみんなを奥へ誘導して下さい」
ミランダが言葉を引き継いだ。
「私の力の及ぶ場所にいる限り、今はどんな怪我も回復しますが、力の及ばない範囲に出てしまうと、ダメージが戻ります。とくに、アクマに撃たれたら助かりません、ほんのわずかなダメージも一度うければおしまいなんです。一刻も早く準備をお願いします」
船長の額から冷や汗が流れ落ちた。
「しかし…今は山脈のど真ん中を航行中です。降りようにも着陸する場所がない。無理な着陸は危険です」
船長の言葉をリンクは威圧的に否定した。
「ここにいる方がよほど危険だ。そんなのんきな事を言える状況ではない。わずかな平地を狙ってでもおりてください。水の上だって、山のてっぺんだっていい。足のつく場所におりなくては、万にひとつも助かる可能性はない。我々も協力します。今はとにかく高度を下げるんだ」
リンクは誰も反論できない冷徹さと威圧感で、てきぱきと指示を入れる。
その間にも、傍らで必死に集中して結界を張っているミランダが、爆撃のダメージを感じて苦しみに身を捩る。
「ううっ!」
「ミランダ!しっかりしてください」
彼女は苦しそうに、肩で息をしながら必死で耐え続ける。
「船の上方が集中砲火を受けています。アレンくんたちが!」
リンクは思わず見えない二人を見上げた。何も出来ない自分の生身を呪うかのように、ギッと唇を噛み締める。
「アレン ウォーカーなら、大丈夫です。集中を切らさないで!」
「え、…ええ」
上層で、再び爆発音が轟く。
リンクは眉をひそめながら見えない敵の群れをねめあげた。
突然。
今度はリンクの背後で安っぽい破裂音が響いた。
強い力で突き飛ばされたような衝撃をうけ、左肩にひやりとした感覚が走り、次の瞬間に焼きごてを当てたような痛みがリンクの体を襲った。
ミランダの表情が恐怖に染まる
「リ、リンク…さん」
「え?」
まだ理解できない様子で、リンクはミランダを見つめ、それから彼女の見つめている物ー自分の体を見下ろして、思わず手で押さえた。
その手がぐっしょりと赤く濡れた。
左肩口から、赤黒い液体が溢れ出している。
「…?!」
困惑するリンクのスキをついて、一人の男が彼をおしのけ、ミランダを羽交い締めにし、そのこめかみに自動拳銃を押し付けた。
「ヒっ」
ミランダは刻盤をしっかりと抱きしめ、短い悲鳴を上げた。
彼女の集中が切れ、一瞬リカバリーが解けかかった船がぐらりと揺れる。
「ミランダ!」
「動くな!」
操舵室中の人々が凍り付いた。
「動くなよ!ちょっとでも動いたらこの女がどうなるか、わかるよな?」
不安定な体勢でフリーズしているリンクの肩に、その間にも金色の光が踊り、見る間に傷が治っていく。
それを見た男は苦笑いしながら、さらに銃口をごりりと強く押し付けた。
「…なるほど…これがエクソシストの能力、と言うわけですか、恐ろしい力だ。これではいくらアクマに襲わせても船を沈めようが無い」
「お前は!」
リンクの声が怒りを帯びて震えた。
ミランダに銃を押し付けているのは、先ほどの親切な乗務員だった。



リンクが低く呪うように吐き捨てる。
「貴様はブローカーか、金の為か」
「動くなって。
…その通りです。すべて『おかね』のためですよ、お客様」
嫌味なほど丁寧に言った男はさらにせせら笑い、ミランダに押し付けた銃に力を込めた。
「わたしねえ。お金が大好きなんです。
まあ、みんな誰だって『好き』ですよね?
で、どうやったら一番わりのいい商売になるかって。ずうっと以前から考えてたんです。
で、とびきりの方法を思いつきました。
飛行船にはお偉い方々が乗るでしょう?貴族に国の要人に権力者、その家族たち。
列車事故なんかより、よほど使い勝手のいい素材をマスター(伯爵様)に提供できるんですよ。しかも乗客名簿がきちんと揃ってる。どなた様がくたばってくれたのか、すぐわかる。おかげでいつもより高く買っていただけるし、とても簡単でしょう?」
男は愉快そうにゲラゲラ笑った。
「だから!!
時間をかけてこの船の乗組員になったんだ。本来は事故にみせかけるつもりだったんだがな。よりによって、こんなときにエクソシストが乗るとは、ラッキーだったね。で、本日は特別にマスターがアクマを貸してくださったのさ。
まあ、こっちも予定より少しアブナイ目を見なきゃならないがな。おかげで金額はさらにグンと跳ね上がる」
「アクマは、すぐにエクソシストたちが一掃する」
リンクの言葉を、男は鼻で笑った。
「ふん。お前らの仲間がアクマを殺ろうが殺られちまおうが、どうでもいいんだよ。ドンパチやってもらえれば、時間も稼げる。俺は俺の方法で最後までやるだけだ。念に念を入れてね」
男は、ミランダをひきづりながらじりじりと壁際に下がり、脱出用のドアを蹴り開いた。上空の冷たい風が、操舵室の中に吹き荒れる。
船の上部から、再び爆発音が響いてきた。
「ホラ、もう始まってるでしょ?」
男は勝ち誇ったように懐から爆弾らしい物を取り出した。無造作にそれを放り出す。小さな時計のつけられたソレは耳障りで嫌な音を立てて、すでに時間を刻んでいた。
「時限…爆弾だと?」
「他にもいくつか仕掛けてある。エンジンとか…手の届かない場所とか?どのみち体が吹き飛べば、あんたらは全員助からない。
だろ?その前に俺は背中のパラシュートでのんびり脱出させてもらうってわけだ。
…さてマダム。貴女には先に落ちていただきましょう」
「えっ?」
ミランダがおびえた。
「だって、貴女がいるとせっかく準備した爆弾が台無しじゃないですか。もちろん貴女のその不思議な力を止める方法はいくらでもあるんだが…。貴女が船を離れれば、船を沈めるのが楽になるし。エクソシストを道連れにしたって証拠ももっていけるし。
それに、さすがの私も可愛いご婦人を直接手にかけるのは気がひけてね」
「どうせ皆殺しにするつもりだろう!」
男は、リンクの言葉を頭の中で反芻するように味わうと、無表情に銃口を向けリンクの太腿を打ち抜いた。
一発、二発
床に血溜まりがあふれ、リンクが激痛にもがきながらも、その傷はすぐさまかき消されていく。
「殺しませんよ」
男は、くすくす笑った。
「これは事故だ。歴史上最大の『飛行船事故』になるんですよ。
マダム。さあ、先に飛び降りてください。今この距離で撃たれるよりは、生き延びられる可能性がありますよ」
恐怖におののきながら、ミランダが首を振る。
「そうですか、じゃあ。こうしましょうか」
男は銃の照準をリンクに向けた。
「貴女が言う事をきいてくれないなら、今からこの金髪の若者の頭を吹っ飛ばします」
ミランダが凍り付いた。
「や、めて…」
「さっきみたいに、回復するのかな?面白い実験だから何回かやってもいいなあ。でも、何度回復しようと、一度吹き飛べば、死亡決定なんだろう?
だったら何度も何度もこの男の頭がくだけるところは見たくないよな?あんたが助かりたいからって、この男が代わりに撃たれるのは困るだろ?」
「ヤメテ」
ミランダは、遥か地上をちらりと覗き込んだ。
リンクが呟く。
「ダメです、ミランダどんなことがあっても発動を続けてください」
「で、も…」
「さっさとおりろってんだ!」
唐突にミランダの胸元から、ティムキャンピーが飛び出した。
金色の羽根が男の目の前をかすめる。
機を逃さず、リンクが仕込みナイフを抜いて、動いた。
「クソ!」
男が引き金をしぼる。
「ダメエエエ」
ミランダの絶叫を、銃声が打ち消した。



続く